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コーリン・ロウは建築評論集『マニエリスムと近代建築』で、ル・コルビュジエの作品の中に古典主義建築の作品とよく似た点があるのを指摘した。コルビュジエは近代主義建築の巨匠とも言われる建築家だが、その活動初期の時点ではヨーロッパの建築の主流は古典主義建築だった。
近代主義建築はその誕生時、既存の古典主義建築と激しく対立した。このとき近代主義側の先鋒にいた一人がル・コルビュジエだった。コルビュジエにとって古典主義建築は目の前に立ちはだかる巨大な壁であり、倒さなければならない敵だった。そのコルビュジエの作品に古典主義建築との共通点があるとロウは指摘したのだ。
コルビュジエのシュタイン邸とアンドレア・パラーディオのヴィラ・マルコンテンタ、両者の平面図に共通点があるとロウは主張する。それは横に「2:1:2:1:2」の比例で区切られている点だ。並べられた二つの図面を見ると確かにロウの指摘は正しく思える。

上:ヴィラ・マルコンテンタ
下:シュタイン邸
ヴィラ・マルコンテンタはマニエリスムの建築家であるアンドレア・パラーディオの作品だ。コルビュジエとの活動時期には約350年の差がある。
シュタイン邸は「自由な平面」を標榜したコルビュジエらしさが発揮された作品であり、ロウの指摘がなければ規則正しいヴィラ・マルコンテンタとの関連に気づくものはいなかっただろう。

ヴィラ・マルコンテンタ

シュタイン邸
(https://es.wikiarquitectura.com/)
シュタイン邸だけではなく、コルビュジエの代表作のひとつであるサヴォア邸にもパラーディオのヴィラ・ロトンダのアナロジーがあるとロウは指摘する。ヴィラ・ロトンダはどの方角から見ても同じ立面を持つ特徴的な作品だ。平面図では縦横のサイズが等しい正方形となる。サヴォア邸も同様にどの方角から見ても同じファサードとなるように設計されているとロウは指摘する。

サヴォア邸
(http://crownarchitect.blog121.fc2.com/より)

ヴィラ・ロトンダ
コーリン・ロウは、彼を紹介する文章では、「ル・コルビュジエがパラーディオから深い影響を受けているのを見抜き論じた最初の人物」などと書かれる。はたしてコルビュジエは本当にパラーディオの影響を受けているのだろうか。あるいはより率直な表現をするならば、コルビュジエはパラーディオの比例を模倣したのだろうか。
ロウの文章を注意深く読むと、コルビュジエがパラーディオの影響を受けていたとは一切書いていない。共通しているのは数学的に設計している点にあると述べている。そのために同じ比例が現れたのだと。
ところでコルビュジエは自身に関するあらゆる記録を残していた。蔵書の記録もあり、そのなかにはパラーディオの本があったこともわかっている。もちろん本を持っていることが何かの証拠になるわけではない。
シュタイン邸の構想時の素案も幾枚も残っている。その最初の時点では例の比例は存在していないことが確認できる。仮に影響を受けているのであれば、初期の構想時点で「2:1:2:1:2」の比例が見つかりそうなものだが、そうではない。また素案にはロウが言うように比例を元に数学的に設計しているようすもない。
それではなぜこの二つの作品は似てしまったのか。あるいは「2:1:2:1:2」という共通する比例がなぜ生まれたのか。その理由を解明するのが本論の主旨だ。
結論を先に言うならば、コルビュジエはパラーディオの影響を受けてはいないし、数学的にも設計していない。さらには、「2:1:2:1:2」に“見える”比例を生みだしたのはロウ自身であり、そしてそれはコルビュジエの影響によるものだ。
ヴィラ・マルコンテンタとシュタイン邸、この二つの作品にはともに同じ比例が存在しているように見える。そのこと自体は紛れもない事実だ。しかしこれは恐らく偶然だろうと私は考える。
「2:1:2:1:2」などという規則正しい比例が一致する、そんな偶然があるわけがないと思われるかもしれない。しかしこれは偶然と言っても純粋な意味での偶然ではない。別々の理念がもたらした「偶然」なのだ。このときの「偶然」とは設計者が意図せずにこの比例になったという意味ではない。パラーディオは確かに比例を意識して設計している。またコルビュジエもある意図を持って設計しており、結果的にこの比例となっている。
パラーディオとコルビュジエがそれぞれ自分自身の理念に基づいて設計したことで、偶然にも同じ比例となったことをこれから説明していきたい。
そしてそこから、「コルビュジエはパラーディオの影響を受けてはいない」、「コルビュジエの影響によってロウが「2:1:2:1:2」の比例を生み出した」という結論が導き出される。
パラーディオはコルビュジエよりも350年も前に活躍した建築家であり、ロウの本を読めばヴィラ・マルコンテンタに「2:1:2:1:2」の比例が見えるのも事実だ。であるならば、ヴィラ・マルコンテンタの「2:1:2:1:2」はコルビュジエの影響以前のことだと考えるのが当然ではある。
しかし実のところ、コルビュジエがいたからこそコーリン・ロウは、パラーディオに「2:1:2:1:2」を見出すことができたのだ。
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パラーディオは規則性を何より重要視した建築家だ。彼が設計したヴィラのファサードはほぼ例外なく左右がシンメトリーになる。そのため左右と中央の3つの分節を持つ場合、「A:B:A」の構成となる。この「A:B:A」は「2:3:2」であったり「3:2:3」であったりする。つまり「A」と「B」は任意の値となり、どちらが大きくなるかは決まっていない。また二つの値は必ずしも明瞭な整数であるとは限らない。共通しているのは同じサイズの二つのエリアで中央のエリアを挟むという構成だ。この構成でシンメトリーを成立させている。

パラーディオの作品
(https://en.wikipedia.org)
さらに規模が大きくとなると、左右の外側に同じサイズのウィングを足して5つの分節を持つ建物となる。この場合は両サイドに「C」を追加して「C:A:B:A:C」となる。
ヴィラ・マルコンテンタはこの5つの分節を持つ形状ととらえることが可能だ。ヴィラ・マルコンテンタを「C:A:B:A:C」としたとき「C」と「B」が同じ値で、「A」がその半分の値であり、結果的に「2:1:2:1:2」が成立する。しかしヴィラ・マルコンテンタのファサードを見たときに受ける印象は「A:B:A」であり、「2:4:2」であろう。そのような印象となるようにパラーディオは設計している。
ヴィラ・ロトンダは全ての面において同じファサードを持つという特徴的な形になっているが、これも横方向だけでなく縦方向(ファサードに対面して奥行き方向)に対しての比例を意識したものだと言える。

Villa Capra “La Rotonda”
(https://en.wikipedia.org)
平面図では4つの正方形が中央に通路部分だけ離れて集まり、その中心に同じサイズの正方形とその正方形に内接する円を持ち、さらにこの中心の正方形の辺の延長線が外側へと延びている。ファサードは「C:A:B:A:C」が成立しており、それがどの方角から見ても同じようになっている。
パラーディオの作品では、中心部分の空間である広間の左右の壁をファサードまで延長させる特徴がある。全ての作品について言えるわけではないが、建物のファサードを見ると内部の広間の幅が想像できる。ヴィラ・マルコンテンタではファサードを「A:B:A」としてとらえると、「B」の幅が建物中央の広間の横幅サイズとなる。
このようにある種の規則性に基づいて設計すること自体は特に珍しくはない。整った外観を目指すとき、左右は対称となり、各分節に等値または何かしらの比例関係を持たせるのは自然なことだとも言える。さらにヴィラ・ロトンダの図面から、パラーディオは幅と奥行きにも規則性を持たせることを意識していたことがわかる。幅と奥行きが「1:1」になるとき正方形の平面図となる。
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一方、コルビュジエはどうか。シュタイン邸の平面図からは確かに「2:1:2:1:2」が見える。ファサードにもこの比例は現われている。これはヴィラ・マルコンテンタを真似たのであろうか。もしそうであるなら、それは何のためか。なぜコルビュジエはパラーディオを模倣する必要があったのか。なぜパラーディオの作品のなかでもヴィラ・マルコンテンタなのか。その問いに答えることは恐らく誰にもできないだろう。
古典主義建築を批判していたコルビュジエにとってパラーディオを模倣する理由はない。じつはこの比例になったのは「模倣」によるものではなく、その建築工法から導かれたものだと考えると整合性がとれる。
1920年代のコルビュジエは自らが提唱する「ドミノシステム」という理論を用いて建物を設計している。ドミノではスラブ、柱、階段が建築の基本要素になる。最上階のスラブは天井となる。スラブを支えるのは柱だ。一般的には柱と柱の間に梁を渡して構造上の強度を増す。しかしドミノでは梁の存在は見えず柱だけで支えている。

ドミノシステム
(www.fondationlecorbusier.fr)
一枚のスラブを支えるために何本の柱が必要となるか。まずスラブの隅に1本ずつ、計4本の柱は必須だ(下図A)。もちろん3本の柱で支えることも原理上は可能だが安定性に欠ける。
小さな建物であればこの各隅の4本で事足りる。建物が大きくなると4本の柱だけでは構造的に弱い場合がある。その場合さらに柱が必要となる。ドミノシステムの基本形となるイラストでは長方形のスラブの長い辺の中央に1本ずつ柱を追加し、計6本の柱で支えている。
4本の柱の場合を想定して話を進める。建物のサイズが大きくなった場合、構造上、隅の次に必要な柱はどこか。仮に隅の4本に加えて1本だけ柱を立てられるとしたら、最も相応しい柱の位置は建物の中央だ(図B)。それ以外の場所に柱を建てると、縦横どちらかの方向に負荷が偏る。
柱は最も弱いところを補強しかつ安定するように立てるのが基本だ。では仮に追加可能な柱の本数に制限がなければどうだろうか。強度を増すために各辺の両端の柱のちょうど中央に1本追加するという方法が最も単純な案だろう。各辺に1本ずつ柱を追加するので計8本の柱で周囲を囲むかたちとなる。さらに中央に1本の柱を立てるとより強度を増すだろう(図C)。
建物がさらに大きくなる場合は各辺の柱と柱の間にさらにもう1本、追加して柱を立てる。すると柱の数は各辺に2本ずつ追加、つまり計8本が追加されて周囲を囲むのは16本の柱となる(図D)。このサイズになると中央に1本の柱だけでは十分ではない。
理想は等間隔に必要十分な数の柱を建てることだろう。一辺につき両端に1本ずつ、中央に1本、さらに端と中央の間に1本ずつで計5本の柱となる。等間隔に柱を立てると、結果的に5×5で25本の柱となる(図E)。
これによりグリッドという方式が導き出される。つまり縦横に等間隔に柱を立てるのがもっとも強度をもつ柱の立て方なのだ。
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ヨーロッパの建築では近代以前は石積みが基本だ。柱や梁で屋根を支えるのではなく、壁となる石を積み上げ、四辺の壁で上部を支える。重い上部を支えるためには壁を厚くする必要がある。室内を区切る壁も上部を支える柱の役割を果たす。
この構造とドミノシステムとの最も大きな違いは、ドミノでは室内に柱が存在することだ。石積みの場合は壁が柱の役割も果たしているため壁で囲まれた部屋の中には柱は存在しない。ドミノにしたことでこれまで室内にはなかった柱が現われることになる。
柱の存在を消したい場合、柱を建物内部の空間を区切る壁の一部にすることで隠すことが可能ではある。つまり柱と柱を結ぶ線を引き、その線で建物内部を区切って部屋を分ける。そうすると壁に区切られた室内内側の柱は理論上は必要最低限の本数になる。また柱と柱を結ぶように内部を区切るとある種の規則性が生まれる。
コルビュジエの1920年代の作品ではグリット状の柱が特徴としてある。コルビュジエはしかしグリッドを基準に設計してはいない。むしろ曲線を用いるなどして、規則的なグリッドから自由になることで生まれる不規則性を重視している。
コルビュジエの提唱する近代建築の5原則のひとつに、「自由な平面」がある。上部を支える役割がなくなった壁は理論上はどのような線を描くことも可能になった。
しかし「自由な平面」と言っても、新たに生まれた柱の存在を完全に無視することはできない。例えば階段を上りきった中央に柱があるのは明らかに邪魔だ。階段を左右のどちらかに移動させるだけでよいのだが、このような調整をやりすぎるとグリッドベースのデザインになる。つまり規則性が高まり、「自由」さは消えていく。
また壁で区切らずに大きく空間を使う場合には柱は剥き出しのまま何本も立つことになる。柱はスラブを支えるために必要不可欠なものだが、必要以上に立つ柱は利用者の快適さを損なうことになるだろう。
そこでコルビュジエは柱を適宜間引きするという方法をとる。柱をグリッド状に並べたときその安定性は1本抜けたぐらいでは大きく変わりはしない。連続して何本も抜くわけにはいかないが、必要十分な本数があればある程度間引くことは可能だ。
しかし不規則に間引くと思わぬところで強度の弱さが生じる危険もある。柱の間引き方には規則性を持たせるほうが安全であろう。こうしてドミノシステムを用いた作品では柱をグリッド状に並べることと規則的に柱を間引くことで、安定性と自由な平面との両立を目指している。シュタイン邸がまさにそうであり、デザインに合わせて修正されたグリッド状の名残がある。

ヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅
デザインによっては間引く必要がない場合もある。コルビュジエがシュタイン邸と同時期に設計したヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅では横に10本の柱を立て、9つのエリアで室内を構成している。柱は間引かれることなく立っている。9つのエリアの左から3つ目と右から2つ目のエリアに同じ比例の空間を追加して階段を設置している。つまり3×10の30本のグリッド状のうち24本の柱を立てて設計している。別の見方をすれば2×10プラス4本で24本だとも言える。
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シュタイン邸のデザインを詳細に観察してみると、「2:1:2:1:2」の比例以外にも比例が存在することがわかる。
例えばファサードに対面するように立つと2階は左から「2:3:3」となっている。右奥の「3」は吹き抜けとなっている。
3階は「2:1:2:3」という感じだろうか。1階は奥に個室が並んで「2:1:1:1:2:1」となっているが、手前は「2:1:5」という感じだ。
これらの比例に出てくる数字の合計は常に「8」となる。これは建物の横幅を8等分して1個のサイズとしているからだ。そしてこの8等分した間隔を元にして柱を立てている。8等分というのはひとつの長さを半分にし、さらに半分にし、さらに半分にしていることになる。これは柱の位置を等間隔にすることで安定してスラブを支える意図があったことを意味している。
8等分した状態でグリッド状に柱を配置した場合、柱は横に9本、さらに図面を参照すると縦に3本の柱を配置している。このうち横に並ぶ9本から負荷が分散するように3本の柱を間引いている。
つまり「2:1:2:1:2」のうち、「2」にあたる部分は中央の柱が間引かれている。そのため「2」の要素が強く感じられ、逆に「1」の部分は左右両方に柱か壁があるため「1」が強調される。つまり「2:1:2:1:2」という比例は柱の位置がもたらしている印象であることがわかる。
さらに「2:1:2:1:2」の「1」の部分に入り口や階段、通路などの導線となる要素を設置して、「2」にあたる部分で室内を構成する傾向にある。これは柱の位置を考えると効率的な設計だと言えるだろう。
じつは「2:3:3」などの大まかな構成はコルビュジエが残した素案の初期から見られる構想だ。素案では厳密に8等分をベースにしていたようすはないが、大まかな室内構成は最初からあった。初期の構想を生かしつつグリッド状の柱のどこを間引くかを検討し、残す柱に合わせて構想を見直していく、そのような過程を経ていると素案から想像できる。
柱の位置が「2:1:2:1:2」を印象つけるが、実際には8等分した上で1個、2個、3個、5個のサイズを組み合わせて構成している。じつはシュタイン邸内部では4個分のサイズがひとつも出てこない。
なぜシュタイン邸には「4」の要素がないのか。8等分した横のエリアで「4」を含む比例をつくるためには「4:4」「4:3:1」「4:2:2」「4:2:1:1」「4:1:1:1:1」の5パターンのいずれかしかない。「4:2:2」は並びを変えて「2:4:2」や「2:2:4」でもいい。いずれにしても「4」を含む比例は上記の5パターンのいずれかとなる。
シュタイン邸では「4」あるいは「6」や「7」が使われていないことから、コルビュジエが「2:1:2:1:2」をどのように意識していたかがわかる。
「2:1:2:1:2」のなかで隣り合う「2」と「1」を足して「4」を構成できるところは1箇所しかない。
例えば「5」を構成する場合はどうなるか。シュタイン邸の1階入り口を入ってすぐの空間は横に「5」のサイズを持つ。
これは「2:1:2:1:2」のうち、右から3分節にあたる「2:1:2」を合わせて構成されている。「1」は1階奥の個室の並びや、そこへ向かうときに通る廊下など随所に見られる。
「2:1:2:1:2」においては、「1」と「2」はすでに存在しているので簡単につくれる。「3」も隣り合う「1」と「2」を合わせればできる。「5」も端から三分節をまとめればできる。
「2:1:2:1:2」で「4」をつくるためには中央の「2」と両サイドの「1」の3つをまとめる組み合わせしかない。それはシュタイン邸のどこにも使われていない。「2:1:2:1:2」の「1」の部分は導線として使われている。「4」をつくってしまうと「2:4:2」となり「4」へ繋がる導線となる「1」がなくなってしまうのだ。
同じことが「6」でも言えるため「6」の要素もシュタイン邸には存在しない。「5」は端から3分節集めても残りの分節に「1」があるので導線が確保できる。「7」を入れてしまうと「2:1:2:1:2」の両端どちらかの「2」を崩してしまうのでこれもできない。
つまりシュタイン邸では「4」「6」「7」が使われていないことから、コルビュジエは「2:1:2:1:2」をある程度意識して設計しており、またなかでも「1」を効率的に使うことで導線を確保していこうとする意図が見える。
シュタイン邸の平面図では全ての階においてシンメトリーを回避しているのがわかる。柱の立て方は「2:1:2:1:2」であり、そのままでは左右対称になる。しかし図面上で左右対称を感じさせる部分はどこにもない。ファサードには「2:1:2:1:2」がそのまま現れているが、そのファサードでさえも入口の意匠で左右対称を崩している。
「2:1:2:1:2」で「4」の要素を入れ込みつつ、両端の「2」を生かすと必然的に「2:4:2」というシンメトリーが生まれてしまう。シュタイン邸で「4」の要素が存在しないという点において、「1」による導線の確保とシンメトリーを避けようとするコルビュジエの意図が見える。
1920年代のコルビュジエの設計理念は、構想を生かしつつグリッド状の柱のどこを間引くかを検討し、残す柱に合わせて構想を見直す、シンメトリーは避け「自由な平面」を目指す、というものではないだろうか。
コルビュジエはこの理念に基づいて設計した結果、シュタイン邸には「2:1:2:1:2」という比例が残った。
コルビュジエは「4」の要素を避けた。じつはヴィラ・マルコンテンタはこの「4」が中心となっている作品であり、しかもパラーディオはコルビュジエとは正反対に何よりもシンメトリーを重要視した建築家なのだ。
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ヴィラ・マルコンテンタを詳細に観察してみる。
コーリン・ロウはここに「2:1:2:1:2」という比例を見つける。しかしパラーディオがそのことに、つまり「2:1:2:1:2」についてどこまで意識していたかについては疑問が残ると私は考える。
パラーディオが設計において意識しているのは左右のシンメトリーと縦横の比例だ。それと横分節の比例関係だ。ヴィラ・マルコンテンタの平面図中央には十字型の広間がある。この広間の中央部両隣に小部屋がある。この二つの脇部屋は正方形になっている。この正方形は間違いなくパラーディオが意図したものだろう。つまり偶然に正方形になったのではなく、横幅と奥行きが同じ長さになるように設計している。
さらに中央の広間の横のサイズは左右の脇部屋の横幅のちょうど2倍となっている。つまりここで横の比例として「1:2:1」あるいは「2:4:2」が成立する。そしてこれはヴィラ・マルコンテンタのファサードへと現れている。この比例は「2:4:2」とすれば合計が「8」となっている。
平面図の下段、ファサードから1列目のエリアの中央にも正方形を見てとれる。ちょうど十字の広間の下部にあたる部分だ。1列目と2列目の奥行きは同じ大きさとなっている。つまり下段中央の空間と、進んだ先にある広間の左右に隣接する脇部屋は同じ横幅の「2」となる。パラーディオは左右対称を意識しているので1列目のエリアは、「8-2」の「6」を左右で均等に分けで「3」、すなわち「3:2:3」という構成になる。
一列目の「3:2:3」と2列目の「2:4:2」とを重ね合わせたとき、二つの比例の最大公約数とも言える比例「2:1:2:1:2」が生まれ、これが3列目、平面図では最上部の横の構成となっている。
パラーディオの作風を考えると、縦横つまり横幅と奥行きの比例、左右対称、横の比例、これらを計算して設計している。ここにロウは「2:1:2:1:2」を見ているわけだが、これは3列目に限った比例に過ぎない。
ヴィラ・マルコンテンタはシュタイン邸のようなグリッドがベースにある建物ではない。つまり本来、3列目の比例を縦全体に走査するべきではない。パラーディオは他の作品でも横の比例や左右対称は常に意識している。しかし1列目と2列目という複数列を透視的に重ね合わせて比例を意識しているようすはない。
ここで重要になるのは2列目の大広間の横幅がそのままファサードまで影響している点である。つまり2列目の区切り線をファサードまで延長したとき、本来ないはずの線が1列目を通ることになり、結果的に「2:1:2:1:2」が見えてくる。
ヴィラ・マルコンテンタはファサードに「2:4:2」の比例を持つ。入ってすぐの空間は横に「3:2:3」となっている。中央の広間を含む列はファサードと同様の「2:4:2」だ。最も奥のエリアには階段があり、「2:1:2:1:2」となっている。数字の並びは常に左右対称だ。「2:3:3」や「2:1:1:1:2:1」などは存在しない。左右対称を強く意識したこの作品では奥行きにも対称があるのではないか。
1列目と2列目は同じ比例「2」だ。最も奥の3列目の奥行きは「1.5」となっている。しかし「2:2:1.5」ではやや不整合さが印象に残る。「4:4:3」と見ることも可能だが、この並びではシンメトリーにならない。なぜ奥行きは「2:2:2」ではなく「2:2:1.5」なのか。
じつは入り口の手前のエリア、階段と列柱からなる、ポルティコ部分を含むと「1.5:2:2:1.5」、あるいは「3:4:4:3」というシンメトリーが成立する。つまりヴィラ・マルコンテンタは手前のポルティコを含んで比例を見る必要がある。
ポルティコ部分の列は左右の階段も含めると、横に「2:4:2」となっている。そしてこの「2」の部分にL字型の階段がある。この階段は「2」の比例を意識するのであれば幅は「1」にならなければならない。つまり「1:1:4:1:1」となる。ただし実際の階段の幅はおそらくそれよりも狭く施工されている。
平面図ではちょうど「2」の半分のサイズで階段が描かれている。この階段はファサードに対面して進入するとき、前進しながら階段を上っていき、突き当たりの踊り場で中心方向へ90度回転し、横向きの階段を上って列柱の内部へと進む。この90度曲がった後の階段の幅はポルティコ部分の奥行きのちょうど半分となる。
奥行きの半分というのは列柱の数に注目してみるとわかる。パラーディオは列柱の配置にも左右対称と比例を意識している。ファサード正面に立つと6本の柱が見える。建物を横から見ると3本の柱が立つ。
その間隔には規則性がある。この横からみた3本の柱で区切られた二つの空間の幅は等しくなっている。そのちょうど一つ分が階段の幅となっていることがわかる。
ところで正面に並ぶ柱は6本あり、柱と柱の間の空間は5つある。図面に注目してみると、左から2本目の柱の部分に「2」という数字が見える。これは柱の太さを表している。単位はパラーディオならではの特殊なものなのだが比例に注目するので詳細は割愛する。
右から2本目と3本目の間には「4」「1/2」と書いてある。これは柱の間隔が「4.5」であることを意味している。右から4本目の柱の横に「6」という数字が見える。これは中央の間隔が「6」であることを意味している。つまり柱の間隔は全て等間隔なのではなく、中央だけが少し広く、それ以外の間隔が等しくなっていることがわかる。
「2」の太さを持つ柱が6本で「12」、「4.5」の空間が4つあるので合計「18」、さらに中央の空間の「6」、全て合わせると「12+18+6」で「36」となる。
図面では列柱は壁で覆われた内部に描かれているが実際にはこの壁は存在しない。最も外側に立つ柱の1本ずつは図面に描かれた壁の位置に立っている。つまり列柱内部の横幅のサイズは、最も外側にある柱「2」をそれぞれ除いた、「36-4」の「32」となる。
図面の中央の広間にある数字「32」、これは十字型の最も広い横幅を意味しているのだが、この値と一致する。
列柱内部の部分に「12」という数字が90度回転して書かれている。これはこのエリアの奥行きのサイズを意味している。図面の上の列にある室内にも「12」が90度回転して書いてある。これも奥行きとなる。つまりポルティコは中央の広間と同じ横幅を持ち、一番奥の空間と同じ奥行き持つものとして設計されている。パラーディオはポルティコも含めて比例を成立させているのが明らかだ。
ヴィラ・マルコンテンタにおける「2:1:2:1:2」という比例は建物の一番奥の部分においてのみ用いられている比例に過ぎない。また中央広間の横幅はファサードに影響を与えているため、横幅の区切り線を図面の下まで伸ばして考えたくなる。その結果、一番奥で用いられている比例「2:1:2:1:2」が建物全体で有効であるかのように見えてしまう。
そしてこのとき図面のいちばん手前の両サイドの階段部分は無視されている。なぜならこの階段を含めたポルティコ部分の比例は「1:1:4:1:1」となっており、最初と最後の「2」が崩れ、「2:1:2:1:2」が成立しないからだ。
パラーディオの設計理念はシンメトリーであり、それを考慮するとポルティコ部分を省くことはできない。パラーディオの設計理念に基づけばヴィラ・マルコンテンタは前方階段部分を含めて比例を構成しており、それを踏まえて横の比例を見れば、「2:1:2:1:2」が全体を貫いているとは断言できない。
ヴィラ・マルコンテンタを含めパラーディオはグリッドで考えているわけではない。各比例がシンメトリーになるように設計しているだけだ。「1:1:4:1:1」「3:2:3」「2:4:2」「2:1:2:1:2」そして横から見たときの建物前方から奥へと向かう「3:4:4:3」。
パラーディオは左右対称を重要視したが、グリッドという認識は弱い。ヴィラ・マルコンテンタにおいてポルティコ部分も含む比例を手前から奥に見たとき、「3:4:4:3」になるように設計している。この「3:4:4:3」は言葉の正しい意味でのグリッド(格子)ではない。
またグリッドから何かを間引くことで導きだされる比例でもない。パラーディオの設計の理念には、横と奥行きの関係、左右対称、横分節の比例関係だ。
ヴィラ・マルコンテンタからは結果的に「2:1:2:1:2」を見出すことは不可能ではない。しかしそれはパラーディオの設計理念には希薄なグリッドを想定し、存在しない線を延長した上で、都合の悪いポルティコ部分を無視して、はじめて見出されるものなのだ。
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1920年代のコルビュジエの作品はグリッド状に配置した柱が基本にある。適宜間引く、あるいは微調整し構想と調和させる。しかしシンメトリーにはこだわらない、というよりもむしろそれを避けようとしている。
シュタイン邸では横に8等分した上で柱の位置が「2:1:2:1:2」となり、手前から奥行きにむかっては前後に余白を残して3本の柱が等間隔に配置されているのがわかる。つまりグリッドがベースとなっている。横に「2:1:2:1:2」、縦に「1:1:1」となっているが、どの方向から見ても全ての階でシンメトリーにはなっていない。
コルビュジエはシュタイン邸の2年前、1925年のパリ万国博覧会でレスプリ・ヌーヴォー館を設計している。ここでもやはりグリッド状に柱を配置し、シュタイン邸と同様に分散して柱を間引いている。

レスプリ・ヌーヴォー館
横の比例は「1:2:1:2:1:2」となっている。シンメトリーにはなっていない。入り口を右上に見た図面では手前から奥に向かって、つまり下から上に向かってやはり等間隔に柱が配置されている。その柱も室内内部では間引かれているのがわかる。
図面の左側の部分、大胆な曲線を用いた部分に注目すればシンメトリーを見出すことは不可能ではないが、この作品を見て左右対称性を感じるものは少ないだろう。

サヴォア邸
サヴォア邸では各辺5本の柱が規則正しく並んでいる。内部の柱は基本的には5×5のグリッド状に配置されているのだが、例えば3台分の車両の駐車スペースにあたる部分の柱は位置が微妙に移動されている。他にも建物中心部分のスロープに合わせて柱の位置を微調整しているのがわかる。
コーリン・ロウはこのサヴォア邸とパラーディオのヴィラ・ロトンダとの間にも共通点があると指摘する。しかし二人の設計理念を念頭に図面を比較すると、コルビュジエがパラーディオから影響を受けているとは到底思えない。
横と奥行きの関係、左右対称、横分節の比例、それが作品から見られるパラーディオの理念だ。一方コルビュジエの理念は構想を生かしつつグリッド状の柱のどこを間引くかを検討し、残す柱と構想を調整する、このときシンメトリーは避け「自由な平面」を目指すというものだ。
パラーディオは最初から比例を意識して設計している。コルビュジエはドミノハウスの構造上、グリッド状に柱を配置したことによって比例関係が生まれてしまう。結果的に「2:1:2:1:2」という比例が「偶然」一致したかのように見えてしまう。
パラーディオがシンメトリーを重視していたのには理由がある。パラーディオは自著である『建築四書』の第一書、第21章で脇部屋は左右が均等になるように割付けるべきだと書いている。その理由は、左右の大きさが違うと壁の配置密度が異なり、重量への抵抗の大きさが異なり、それは「時の流れとともに工事全体を崩壊に導くようなきわめて重大な不都合を生ずることになるから」だ。
つまり、建物上部を支えるために壁の配置を左右対称にしておく必要があると主張している。一方、コルビュジエのほうはグリッド状の柱で上部を支えることで内部空間のシンメトリー構成は一切不要となった。
しかしながら上部を支えるための柱はパラーディオの脇部屋がそうであったように、「均等」になるように配置する必要がある。
どちらも上部を支えるという物理的な制約に従ったことで起こる必然である。そしてこの必然は、ヴィラ・マルコンテンタでは比例の最大公約数としての「2:1:2:1:2」が際立たされ、シュタイン邸では構想と構造の安定を両立するように間引いたグリッドが「2:1:2:1:2」となるという偶然の一致を生み出した。
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パラーディオとコルビュジエ、その設計理念を考慮に入れてヴィラ・ロトンダとサヴォア邸とを見てみると、この二つは全く異なる作品だと言える。
平面図からして共通点はほぼ何もないに等しい。ヴィラ・ロトンダは縦横に等しいシンメトリカルな作品だが、サヴォア邸は正確には正方形ですらない。
またヴィラ・ロトンダはどの方角から見ても同じファサードを持つが、サヴォア邸はそうではない。ピロティで持ち上げられた2階部分が同じ水平窓を持っているために似た印象を受けるが、屋上庭園の見え方も1階部分の見え方も方角によって異なる。
同様にヴィラ・マルコンテンタとシュタイン邸をもう一度見比べてみるとどうだろうか。ヴィラ・マルコンテンタには「2:1:2:1:2」の要素は実は弱い。弱くではあるが「3:2:3」と「2:4:2」の最大公約数とでも言うべき比例が「2:1:2:1:2」であり、それが3列目を構成しているため、その要素を全体を通して見出すことが可能だ。
一方シュタイン邸にも「2:1:2:1:2」はある。柱の配置がそれを物語っている。しかし繰り返し述べているように、この二つの作品は全く異なる理念に基づいて設計されている。ともに「2:1:2:1:2」を読み取ることは可能だが、そこに至るまでの経緯がまったく異なるのだ。
だからこそコルビュジエがヴィラ・マルコンテンタの比例を自作の設計に転用したと考えると、いくつもの疑問が生じるのだ。もし仮に「模倣」が事実であるならばヴィラ・マルコンテンタとシュタイン邸の違いのほう、例えばシンメトリーへの意識の違い、奥行きの比例「3:4:4:3」と「1:1:1」との違いのほうにこそ説明が必要になるだろう。
つまりコルビュジエがヴィラ・マルコンテンタと同じ比例を作為的に取り入れたのならば、なぜコルビュジエはシュタイン邸をここまで異なる作風に仕上げたのか、あるいはなぜコルビュジエはここまで異なる作風にも関わらず、ヴィラ・マルコンテンタの比例を取り入れたのか。コルビュジエがパラーディオを参照したとするならば、ここまで異なる作風にしたことの説明がつかない。
そうではなく、この比例はパラーディオからの影響などではなく、コルビュジエが自身の理念に基づいて、つまりドミノハウス理論と自由な平面を融合させて設計した結果の比例だと考えたほうが整合性が合う。
これらのことから、コルビュジエはヴィラ・マルコンテンタを一切考慮に入れずにシュタイン邸を設計しており、パラーディオの影響も受けてはいない、そもそもヴィラ・マルコンテンタを「2:1:2:1:2」と見るのは適切ではないと考える。
コーリン・ロウの指摘する「偶然」がなぜ起きたのか。それぞれ二人の建築家の理念について考察し、その結果、上部を支えるための必然から起きた「偶然」であるというのが本論の主旨である。
これを歴史を拒否した近代主義と歴史を引き継ぐ古典主義との間にある共通する何か、と主張することもできなくはないが、「上部を支える物理的な都合」は建物に不可欠な要素に過ぎないとも言える。
コーリン・ロウはヴィラ・マルコンテンタとシュタイン邸の平面図に存在する共通点を指摘した。ロウの指摘はコルビュジエとパラーディオとの間に共通するものがあることを暗に示していた。
しかしじつはコーリン・ロウのこの言説こそがコルビュジエの影響下にある。ヴィラ・マルコンテンタに「2:1:2:1:2」の比例を「発見」することはコルビュジエの存在があってはじめて可能になる。ヴィラ・マルコンテンタの平面図では「3:2:3」「2:4:2」という二つの比例が縦に並んでいる。この二つの比例の区切り線をそれぞれ双方に延ばすことで、建物の最も奥の部分を構成している「2:1:2:1:2」という比例と重なり、全体を通してこの比例を見出すことができる。
この「区切り線を双方に伸ばす」という処理の背景には縦横に走査するグリッドという概念がある。このグリッド、すなわち建物の平面図上に垂直平行に引かれる等間隔の線は、上部を支える柱の位置を決めるために引かれるものだ。
それはドミノシステムの理論である柱によって上部を支える構造がもたらしたものだ。つまりコルビュジエがドミノシステムという理論に基づいて設計したことによって、350年前のパラーディオの平面図のなかに「2:1:2:1:2」という比例が「発見」されたのだ。
コーリン・ロウは、コルビュジエのなかにパラーディオの要素を見つけたと考えたが、じつのところコルビュジエの理論というフィルターを通してパラーディオの作品を見ていたのだ。
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ヴィラ・マルコンテンタにあるのは比例であり、グリッドではない。グリッドは等間隔での区切りである。グリッドはそのままでは各エリアに比例関係が生じない。パラーディオはグリッドをベースに設計していたわけではない。ルネサンスの流れを汲むパラーディオにとって重要なことは調和であり比例だ。
アルベルティにならえば美とは調和であり、調和は数として表わせる。グリッドという概念抜きにヴィラ・マルコンテンタの平面図を見てみると、建物に入ってすぐのエリアにある「3:2:3」はあくまでも「3:2:3」でしかない。これを「2:1:2:1:2」と考えると、左からはじまる「2」と「1」の間の線が何も意味していないことに気づく。この線では上部を一切支えていない。
ヴィラ・マルコンテンタの平面図に表れている数字のなかで横幅の「16」「24」「32」は比例関係にある。ファサード側から「24:16:24」「16:32:16」、そして最も奥の列は「16」を三つ均等に配置している。ここを「2:1:2:1:2」と見ることも可能ではあるが図面上の数字でいくと、「16:7:16:7:16」となってしまう。
ファサード側の「24:16:24」は合計64。中央の「16:32:16」も合計が64。しかし最も奥の列の「16:7:16:7:16」の合計は62だ。
これは中央の「16」とその両隣の「7」との間の壁の厚みが「1」あるために起きる。このことからもパラーディオは「2:1:2:1:2」を意識していたのではなく、最も奥の一列は三つの「16」を均等に配置しているだけなのがわかる。
つまりパラーディオはあくまでも壁の厚みを除く、空間内部のサイズで比例関係を構成している。「16」「24」「32」が比例であり、「7」は均等割り付けして残った余りと考えられる。すなわち、「2:1:2:1:2」という意識はパラーディオにはない。
ヴィラ・マルコンテンタは見事な比例を持った作品であるという点は間違いない。比例は確かに「数学的」ではある。しかし近代以前の建築では必ずしも「数学的」に解析可能な作品ばかりではない。なぜなら近代以前の建築では石積みが基本であり、そのため壁が厚みを持つからだ。
つまり平面図上の「線」は数学のように概念上のものではなく、壁の厚みという太さをもつ実体として存在している。だからこそ線で区切った「2:1:2:1:2」が、壁の厚みを考慮すると「16:7:16:7:16」という無様な数字になる。
逆に言うならば、近代以前の建築では概念上の「線」が存在し得ない以上、「線」のない部分にはあくまでも「線」は存在しないのだ。近代主義建築になってはじめて柱という「点」の実体化により、そのことによって「線」の概念化に繋がった。
概念上であれば「線」はいかようにも存在可能だ。図面上に存在しない線を縦横無尽に引くことができる。これは近代主義建築が生み出したものだ。パラーディオの図面に線を引き、壁の厚さを埒外のものとするのも近代主義建築以降に可能となったものだ。
つまりコーリン・ロウの数学的解釈は近代主義がもたらしたものであり、なかでもグリッド状の柱を基礎とするコルビュジエの理念の影響下にあるものだと言える。