◆アンリ・ルフェーヴル 『都市への権利』
 

-都市は芸術作品である-


 

難解な哲学書

 本書は一九六〇年代に書かれた都市論である。
 著者のアンリ・ルフェーヴルはマルクス主義哲学者という肩書きで語られることがおおい。
 マルクス主義も哲学も、その専門家以外からは難解なものとしてとらえられがちである。本書の文章も難解な部類に入ると思う。

 本書はながらく絶版だったが、二〇一一年に文庫化された。
 書かれてから半世紀近くを経過しているが、いま読んでも示唆に富む部分が多くある
 ただし、マルクス主義で使われる用語が多数、出てくるのでそれらの用語をどのような意味合いで使っているかを判断しながら読み進める必要がある。

 たとえば”修正主義”という単語が何の説明もなく使われる。
 これを字面から判断して、”修正しようとする、あるいは修正された主義”というような認識でいると、読み誤る危険がある。

 ”修正主義”には、その対立する主義として”教条主義”というものがある。
 教条主義はマルクス主義が目標とするプロレタリア独裁のためには暴力も辞さないという、ある意味で過激な思想のことをいう。

 ちなみにプロレタリアとは労働者のことである。
 修正主義は暴力やプロレタリア独裁などには否定的で、議会制民主主義のもとでの理想社会を築こうとする。
 これが社会民主主義の原型にあたる。

 この”修正主義”という用語は、使用するものによって異なる意味を持つ。

 教条主義的立場から暴力革命によるプロレタリア独裁を支持するものが使うときには、「修正主義=日和見主義」という弱腰な意味合いで否定的に使われる。

 では暴力革命などに反対する立場のものが使うときには肯定的に使われるかというと、そうとも限らない。

 たとえば左翼共産主義という立場がある。
 この立場から”修正主義”という語を使う場合は、「修正主義の議会主義は欺瞞である」という、否定的な意味合いで使われることもある。

 この左翼共産主義とは、レーニン主義に反対する立場にたつ。
 レーニン主義とはロシア革命を成功させ、ロシア共産党のもとでの国家を形成するイデオロギーである。
 左翼共産主義がレーニン主義のどこに対立的な姿勢をしめしているかというと、社会主義国家という部分に対してであり、それは「国家による資本主義にほかならない」という批判をしている。

 左翼共産主義は修正主義を批判し、かつ教条主義とも決別する。

 修正主義も、左翼共産主義も、ともにレーニン主義とその延長にあるスターリン主義に否定的である。

 さらにレーニン主義を支持するイデオロギーのなかにある、スターリン主義とトロツキズムも同じ主義を支持しているにもかかわらず対立関係にある。

 このようにマルクス主義内部の主義や思想には多種多様なものがあり、またそれをどの方角から見るかによって、その解釈が異なるために、なにが正しいかということを一概には言えない部分も多い。

 それぞれの主義、思想には、それを代表する思想家、哲学者、あるいは政治家や革命家がいて、それぞれ著作を書いていたりする。
 それぞれの立場によって、同じマルクス主義用語を使っていてもまったく逆の意味合いになることもある。左右の寄りかたやその深さによって、赤味やグラデーションが微妙に異なる。

 極左からは反共に見えても、ノンポリからは十分過ぎるほどアカく見えたりする。

 マルクス主義の難解さとはこのあたりにも一因があるように思える。

アンリ・ルフェーヴル (http://ja.wikipedia.orgより)

アンリ・ルフェーヴル
(http://ja.wikipedia.orgより)

 では、本書の著者のアンリ・ルフェーヴルがどのような立場にいるかというと、それも明確に説明することは難しい。

 広大なマルクス主義という領域に点在し、ある部分では対立し、別の部分では共感するような各イデオロギーがあり、それぞれを代表する存在がいる。

 そして、それらを観察し批評する存在がいる。彼らは政治的な振る舞いをするのではなく、経済学者や哲学者として社会を見つめる存在である。
 そのような存在はどれかひとつの主義についてその代弁者となるのではなく、それぞれの主張の是非や関係性について書く。
 あるいは、マルクスの著作について書く。
 そのような存在の肩書きに、”マルクス主義的”という接頭語がつく。

 アンリ・ルフェーヴルもそのなかのひとりで、マルクス主義的な哲学者なのである。

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