◆H-R・ヒッチコック P・ジョンソン 『インターナショナル・スタイル』


「インターナショナル・スタイル」と近代主義建築

 「インターナショナル・スタイル」は近代建築を語る際に欠かすことのできない展覧会の名称だ。ニューヨーク近代美術館での展覧会で、CIAMなどとともに近代建築の歴史をつくったといえる。
 インターナショナル・スタイルは個人や地域の特性を乗り越えたところにある国際的な様式としての近代建築を差す。とくにその機能主義的な部分を強く押し進めたことがスタイルの特徴となる。その上で「選ばれた天才」だけが芸術的な方面でも優れた作品を残すことが可能になると、本書は述べている。

 建築作品には設計した建築家の名前が残る。しかしその作品はクライアントの要望によってつくられる。建築家とクライアントとの間で意見の衝突が起きたとき、建築家は自身の作品として主張を押し通すべきなのか、あるいは設計料を受け取るプロフェッショナルとして、施主の要望に応えるべきなのか。本書によるとアメリカでは後者のタイプの建築家が多いという。アメリカでは、建築家は作品を制作する「芸術家」というよりも、顧客の望む製品をつくる「技術者」という意味合いのほうが強い。
 より低く予算を抑えて効率的に建築物をつくりあげることが求められる。余計な装飾はそれだけ予算がかかるので極力省く。とはいえ顧客が望むのであれば可能なかぎりそれに応えるかたちで装飾もつける。「施主が望むなら、彼ら(=アメリカの建築家)は劣悪な建築デザインでもって建物が醜くなることも辞さない」と本書にはある。

繰り返される近代建築と装飾の問題

 近代以降の建築において、装飾は有害なものとされてきた。建物に装飾を施す彫刻家はいまでは職業として成立しない。彫刻以外の装飾もあるが、必要ではない装飾は予算の無駄として嫌われる。近代建築以降の「否定される装飾」とは基本的には柱頭やファサード(正面)に施されるものを指している。それはつまり古典主義やアカデミー様式とよばれる、それ以前の建築スタイルに対する否定である。この「装飾」に対する否定は、近代建築に関する論文で繰り返しおこなわれるもので、とくべつ新しい内容ではない。たとえばアドルフ・ロースは「装飾は罪だ」とまで言っている。

ミヒャエル広場のロースハウス
(http://ja.wikipedia.org/wiki/)

近代建築の確立を支えた「インターナショナル・スタイル」

 「インターナショナル・スタイル」と近代建築との区別は明確にはない。このふたつはほぼ同義だといってよい。本書では「インターナショナル・スタイル」を定義するために建築の細かな部分について言及してはいるが、それはそのまま近代建築の定義として成立している。本書では「半-近代」という語を使い、近代建築の初期の作品たちと「インターナショナル・スタイル」とを分けようとしている。「半-近代」は近代主義的な要素の不十分さゆえに、やや否定的に語られる。

サヴォア邸 (http://crownarchitect.blog121.fc2.com/より)

サヴォア邸
(http://crownarchitect.blog121.fc2.com/より)

 基本的に近代建築の代表的な作品はすべて「インターナショナル・スタイル」の作品として扱っても差し障りはない。ル・コルビュジエの作品はもちろん、ヴァルター・グロピウスミース・ファン・デル・ローエ、アルヴァー・アアルトなどの作品は「インターナショナル・スタイル」についての文章内で図表としていくつも参照される。

 要するに近代建築に「インターナショナル・スタイル」という名称をつけて、その特色を書いているだけに過ぎないのだが、このときは「近代建築」がまだ誕生して間もない時期であり、アメリカの美術館で「お披露目」するのに、「インターナショナル・スタイル」というネーミングには意味があった。
 本書が出版された1932年は、コルビュジエが国際連盟設計競技でアカデミーに負けた1927年から、わずか5年しか経っていない。まだまだ世の中では近代建築は弱い立場にあった。
 本書では、コルビュジエのサヴォア邸を「与えられた建物のヴォリュームのまとまりを最大限に利用する」といい、グロピウスのバウハウス校舎を「部分の間の有機的関連をより強調して、外に延びていく分節を好む」と書いている。前者は「建物の内側でデザインする」ことを意味し、後者は「建物の外形をデザインする」ことを意味している。

デッサウのバウハウス校舎
(http://en.wikipedia.orgより)

本書の存在の意義

 本書は1932年に出版された。いま日本語の訳書として入手できるものには、巻末に1951年に著者自身によって書かれた『二〇年後のインターナショナル』という論文がつけられている。
 この論文の最後で著者は「インターナショナル・スタイル」という書物のその後の影響について次のように書いている。
「この語句(=「インターナショナル・スタイル」)はいまや、二五年前のデザインの常套文句を字義通り想像力もなく適用することを非難するのに便利となっているのかもしれない。もしそれが本当に事実とすれば、この用語は忘れさられた方がよい。一九三二年においては以前として勢力をふるっていた「伝統建築」はいまや死んだも同然である。二〇世紀の生きている建築を、単に「近代」と呼んでよいであろう。」

 「インターナショナル・スタイル」がひとつの”様式”として存在し、20年後にもそれをそのまま取り入れている建築があるが、それに対して、”いまだにインターナショナル・スタイルで設計している”というネガティブな評価がされる。そのようなときにだけ「インターナショナル・スタイル」という単語が使われる。要するに「インターナショナル・スタイル」は古くて形骸化したものの代名詞になっていると言っているのだ。 
 著者の述べているように、「インターナショナル・スタイル」を単に近代と読み替えて本書を読めば、近代建築の図版も豊富で、優れた解説書になっている。アメリカとヨーロッパの比較などは興味深く読めるし、建築と建物という分け方による考察もおもしろい。

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