◆佐々木宏 『真相の近代建築』

熱心な研究者

 本書は著者が建築の業界紙に連載していたコラムをまとめたもの。各回の文章量は二頁程度の短いものが多い。約70回分のコラムが収録されている。著者は自身の設計事務所を持つ建築家で著書も多数ある。本書を読むと国内外の建築について非常に研究熱心な姿勢がみてとれる。内容は一般的にあまり知られていないものも多くあり、タイトルに「真相」とあるのもうなずける。

カール・モーザーとコルビュジエ

 例えば、「近代建築の陰の功労者  カール・モーザーの功績について」というタイトルの回ではカール・モーザーについて書かれている。カール・モーザーはCIAMの会長であるということ以外ではあまり名前が知られていないのではないだろうか。
 この回ではル・コルビュジエが不当に除外された国際連盟の設計競技について書かれている。CIAMの書記長であったジークフリード・ギーディオンが自著に書いた内容によると、コルビュジエの案が最も好評であったが、審査委員のひとりが規定違反を理由にこれを退けた。規定違反とは提出図面がインクではなかったという点だ。これをギーディオンは古典主義派の「政治的陰謀」だと主張する。

コルビュジエ設計案の国際連盟ビル
(http://www.fondationlecorbusier.frより)

 これだけ読むと、このときの審査委員は古典主義派で固められていたのかと想像させる。しかし本書を読むと、このときの審査員はヴィクトール・オルタ、ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ、ヨーゼフ・ホフマン、カール・モーザーらの9人だったとある。
 ヴィクトール・オルタはアール・ヌーヴォーを代表するベルギーの建築家だ。アカデミーの守旧派寄りというよりも新しい様式を建築に取り入れようとする側だと言える。ベルラーヘは「オランダ近代建築の父」と呼ばれる建築家で、のちのCIAM参加者でもある。ヨーゼフ・ホフマンはウィーン分離派のメンバーで、つまり伝統からの分離を目指す側の建築家だ。ホフマンはアドルフ・ロースと親交があり、ロースの住宅からも影響を受けている。モーザーは前述のとおり、CIAMの会長になるモダニズム派だ。つまり半数近くがモダニズムに近い人物だったことになる。
 このときの選考では最終選考をおこなわないなどの強硬な措置がとられたことで知られている。結局、古典主義派寄りの設計担当チームが作られ、このチームによって設計がおこなわれた。しかしこれは古典主義派の「政治的陰謀」というよりも、審査員の半数がモダニズム派だったことで意見がまとまらないと見込んだ結果だったのではないか。もしそうだとすると、この当時すでにモダニズム派の勢いが強くなっていたとも言える。

グッゲンハイム美術館の元ネタ

 他にも、「グッゲンハイム美術館のデザインのルーツ  建築家サルトリスの炯眼」ではフランク・ロイド・ライトのグッゲンハイム美術館の元ネタになったと思われる、ロシアのコマロアの「コミンテル館」の透視図を紹介している。

グッゲンハイム美術館(http://ja.wikipedia.org/より)

 この類似を指摘したのがアルベルト・サルトリスである。著者はサルトリスについて、「発表された作品の多くは刊行物の上で偏っていて、その評価はまだ定着していない」と書いている。また、「サルトリスは二〇世紀の異色の建築家のひとりであろう。」とも述べている。
 アルベルト・サルトリスは一般的な知名度はかなり低い建築家だ。さらに「ロシアのコマロア」もほとんど知られていないと言ってもよいだろう。紙面に載っている透視図はたしかにライトのデザインと似ている。

 フィリップ・ジョンソンについても数回にわたって書かれている。ジョンソンが1947年に「ミース・ファン・デァ・ローエ」というモノグラフを刊行したことと、その影響でギーディオンの「空間 時間 建築」にミースについての内容が書き加えられたのではないかと著者は指摘する。初版ではミースではなく、アルバー・アアルトをとりあげていた。
 「ギーディオンの「空間 時間 建築」では四一年の初版からミースは含まれていなかった。」「五〇年代にようやくミースが加えられた。四七年のモノグラフが大きな刺激になったことは否定できない」
 ジョンソンはインターナショナル・スタイルという用語をもちいて、1930年代初頭のアメリカにモダニズム建築を広めた。このときコルビュジエやアアルトとともにミースの作品も紹介している。当時のミースは住宅設計が中心で、その後のミースの代表作となるような作品はまだ作られていない。年代的にバルセロナ・パビリオンとトゥーゲントハット邸とがある程度だ。その後、ジョンソンはミースと共同でシーグラム・ビルディングの設計にも関わっている。
 つまり、いちはやくミースの作品を評価し、モノグラフを書き、共同で設計もおこなっている。現在ではミースはコルビュジエ、ライトと並ぶ近代建築の巨匠のひとりだが、この評価を得る一旦を担ったのはフィリップ・ジョンソンかもしれない。

 

シーグラムビル[1958年](https://ja.wikipedia.orgより)

日本の近代建築

 日本国内の建築家についても多数書かれているが、取り上げられる建築家は有名な巨匠ばかりではない。
「建築史家に無視される建築家 渡辺仁の最評価をめぐって」の回では上野の東京国立博物館を設計した渡辺仁について、また「インターナショナル・スタイルの「邸宅」 吉田鉄郎の知られざる傑作」では、吉田鉄郎の馬場家烏山別邸について書いている。吉田は主に戦前に活躍した建築家であるが、そのなかでも馬場家烏山別邸は日本のインターナショナル・スタイルの傑作のひとつだと言える。
 他にも建築家名がタイトルに入っている回が多くある。

 「RC造校舎を推進した建築家  復興小学校を陣頭指揮した古茂田甲牛郎」
 「ゼネコンの作品を冷遇する建築史家  気になる石川純一郎の扱い方」
 「追跡困難な戦中の建築家の行動  山脇巌のモスクワ訪問をめぐって」
 「建築・デザイン評論の先駆者  評論に生涯をかけた浜口隆一」
 「建築家への愛情ある眼差し  近江榮の最新著を読んで」

 誰もが知っているとは言いがたい建築家たちだが、残した足跡やこれまでの評価などにも言及しつつ、さらに新たな情報も記されている。他にも本書では山口文象、山田守、今井兼次などがとりあげられている。

 本書後半で複数回に渡って詳細に書かれている建築家が立原道造だ。詩人としてのほうがその名が広まっているかもしれないが、立原は東京帝国大学で建築を学んでおり、丹下健三の1学年上である。ただの建築学科出身の詩人ではない。在学中に卒業設計も含めて学内の建築賞である辰野金吾賞を複数回受賞している。つまり東京帝国大学建築学科の学生のなかでも将来を期待された存在だった。卒業後には設計事務所に就職し、建築家の道を進むが24歳で夭折した。

立原 道造
(https://ja.wikipedia.org/)

 本書では立原の小論文「建築衛生学と建築装飾意匠に就ての小さい感想」について詳細に分析し、さらに行方不明となっている卒業設計、師である石本喜久治邸の設計に関わった点、大学の同じ研究室でもあった生田勉との友情についても書かれている。

建築好きにおすすめの一冊築

 本書にある各コラムは基本的にそれぞれ独立した内容になっている。それらを編集した形式であるため、あるテーマに基づき体系的に書かれた一冊というわけではない。ただし、本書のタイトルにある「近代建築」がひとつのキーワードにはなっている。また建築家個人について書かれた回が多くあるのも特徴だろう。
 著者は対象となる建築家について、刊行された書籍だけでなく、戦前の雑誌、大学の同人誌、建築家本人やその家族と実際に会って聞いた内容、かつて読んだインタビューの内容など、あらゆる情報を集めて書いている。長年の研究によって蓄積された情報から、知られざる「真相」に迫る内容になっている。コラムである以上、決して重厚な内容ではない。しかしその内容の深さは建築好きには十分に楽しめる一冊だと言える。


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