◆コーリン・ロウ 『マニエリスムと近代建築』
 

-コルビュジエの偉大さの再発見-


 

コルビュジエのデザインにみる、自由と規律

 書店で本書を見つけたら、最初の数ページをパラパラとめくってみてほしい。すぐにル・コルビュジエのガルシュのシュタイン邸とアンドレア・パラディオのヴィラ・マルコンテンタのふたつの平面図が載ったページが見つかるはずだ。

 コルビュジエのほうは一九二〇年代のものであり、パラディオのほうはそれより四〇〇年近く前の一五六〇年代の建築である。
 このふたつ図面からはそれぞれまったく異なる印象がもたらされる。
 コルビュジエの図面からは自由に描かれた室内の間取りを思わせる一方で、パラディオの図面からは几帳面に計算された画一的な部屋の構成を思わせる。

 しかし本書の次のページを見てみると、このふたつがともに同じ規律をもとにデザインされていることがわかる。
 すなわちコルビュジエのデザインもパラディオのデザインも、その要素の区切り目に注目すると、横に「2:1:2:1:2」という規則性が見えてくるのである。

 コルビュジエのデザインが自由に描かれているように見えるのは、直線による区切りが目立たないからである。
 しかしその内部を走る曲線の起点と終点や階段の位置を丁寧に観察していくと、緻密な計算によって描かれていることが見えてくる。

 コルビュジエは言うまでもなく近代建築の巨匠のひとりに数えられる建築家である。
 彼はそれまでの建築を壊して、更地のうえに近代建築を立ち上げたわけではない。
 歴史上の建築からもおおくを学んでいるし、彼の考えに影響を与えた建築家や文献、それに理論や思索のもとになったものがなにかということも、ある程度わかっている。

 建築に関する資料を読むほどに、コルビュジエの折衷主義的な側面が見えてくる。
 しかしそのことが逆に新たな驚きをよぶ。
 つまり建築的遺産を継承しながらも、あのように新しく自由なデザインと機能を実現したことに驚かされるのである。

 

タイトルにある、マニエリスムとは

 マニエリスムとは美術史において、ルネサンスの後からバロックの前までの動きを指す。
 特徴としてはルネサンス期の芸術の「技巧(マニエラ)」を受け継ぎながらも非合理的な作風という点がある。

 このマニエリスムについて言及されるようになったのは二〇世紀になってから、すなわち近代主義以降であるという点にロウは注目し、マニエリスムと近代建築との関連を本書で探っている。

 前述のアンドレア・パラディオもマニエリスムの建築家である。
 マニエリスムにはルネサンスの規範を意図的に転倒しようする、すなわち完璧さを崩したいという願望を含んでいたとロウはいう。

 

近代主義建築の別の一面に光をあてる考察

 近代主義建築はさまざまな角度から考察されてきている。
 一般的には絵画におけるキュビズムからの影響や、立体派とよばれる運動からの影響が大きいとされている。
 また、パリのアカデミーを中心とした古典的な様式への対向として定義されることもある。

 いずれにしても、近代建築とはそれまであった建築からの連続よりも、断絶あるいは拒絶としてとらえられることが多い。
 これはマニエリスムのもつ転倒とも相似する。

 本書ではマニエリスムと近代建築との関連を指摘するが、それは既存の建築に対する姿勢だけでなく、デザインにおける「空間」概念においても類似性の存在を指摘する。

 マニエリスムという、ルネサンスとバロックに挟まれた古典主義的な作風と近代主義建築との関連は、それまであった「近代主義建築=歴史主義への拒絶」という側面ではなく、歴史の流れにおいての連続を示唆しているといえる。

 

近代建築における「空間」の重要性

 近代建築を題材にしている以上、「空間」についての考察は避けては通れない。
 それまでの建築がファサード(正面)の視覚的造形、柱の本数、柱頭の様式など、外見的な美に重点を置いていたとするならば、近代建築は建物内部の空間、及び敷地全体を「空間」ととらえたうえでの外形のデザインをどのようなものにするかという点に重きを置いたといえる。

 近代建築を代表する建築家であるフランク・ロイド・ライトもまた空間のデザインに注力した。
 当時、アメリカでは鉄骨やコンクリートによる骨組み構造の手法、とくにシカゴ・フレームと呼ばれる建築手法が取り入れられていた。
 しかしライトはシカゴ・フレームを嫌っていた。それはフレーム構造が、「空間」のデザインとは無関係のものであり、単に効率のみを追求した実用主義的なものに過ぎなかったからだ。ライトはなにより水平方向へと広がる空間を認識にいれたデザインにその才能を発揮した。

 

「空間」から見えてくるデザイン

 本書は複数の論文をまとめたものであるため、全体を通してひとつの主張があるわけではない。
 各論文が書かれた年代もバラバラであり、題材も別々のものであるので、そこから全体をまとめることはできない。
 それぞれの論文は独立して読む必要がある。

 それでも、前述したアンドレア・パラディオの名前は複数の論文のなかに散見される。
 『新「古典主義」と近代建築』という論文ではミース・ファン・デル・ローエとパラディオの対比をおこなっている。

 またコルビュジエのガルシュの住宅も繰り返し言及される。
 『透明性』と題された論文では、ガルシュの透明性に着目し、建築におけるそれまでの「素材による透明性」から「設計による透明性」について書かれている。

 本書の論文たちは近代建築を題材にしているために、コルビュジエについて書かれている部分が多い。
 ロウによれば、グロピウスによるベッサウのバウハウスが、空間の流動はあるが位置的な矛盾はないとしたうえで、コルビュジエの国際連盟には明らかに異なる空間概念が見いだされているという。この設計においてコルビュジエは観察者の位置を複数設定している。

 

コルビュジエにおける「空間」認識

 『ラ・トゥーレット』という、コルビュジエの代表作をタイトルにした論文では、ラ・トゥーレットについて詳細な考察をおこなう。
 この建築では正面にほとんどなにもない壁があるだけの「正面らしくない正面」という特徴がある。

 はじめて見るものにとっては目の前にあるのが建物の横顔とも思えるつくりになっている。
 ロウは、このとき観察者が建物の周囲をまわって、横から見ようとしたときのようすを想定する。
 まさにそれを意図してコルビュジエは設計したのかもしれない。つまり観察者がどの位置に立って見るのかということを考え、複数の視点を取り入れながら設計したとも考えられる。
 この複数の視点ということが三次元の空間を認識するうえで重要になる。

 近代建築の「空間」認識については、キュビズムという「三次元のモチーフを二次元の絵画に抽象化して描く」ことの影響の大きさが指摘される。
 コルビュジエもその影響下にある。これはコルビュジエの絵画作品をみれば一目瞭然である。

 しかしコルビュジエが真に優れていたのは、キュビズム的に三次元を二次元に変換する点にあるのではなく、三次元の状態でデザインをすることができた点にあると言える。

 コルビュジエは床を「水平な壁」といった。これは横の広がりに加え、縦への広がりに対する強い意識があったことを示している。コルビュジエは「空間」のデザインを「空間」のままにおこなえる稀有な存在だった。

ラ・トゥーレット修道院 (http://www.couventdelatourette.fr/より)

ラ・トゥーレット修道院
(http://www.couventdelatourette.fr/より)

 

コルビュジエの偉大さ

 古典主義的な建築家が残した、いかに美しい外見を描くかという主題のもとに引かれた図面は、そのまま絵画作品としても通用するほどのクオリティをもつ。

 コルビュジエの草案過程のドローイングは絵画としてのクオリティは低いかもしれないが、空中から眺めたさまが立体的に描かれている。

 逆に、コルビュジエの図面からは、実際の建築物の生き生きとしたデザインがあらわれてはこないように思える。
 そもそも図面は建物をつくるための設計図であり、作品ではないのでそのこと自体に問題はない。
 コルビュジエの場合、図面にもとづいて建てたとき、その立ち上がってきたデザインに素晴らしさが発揮される。

 建築家が残すのは「美しい図面」ではなく「建築」に他ならない。
 そのことに意識して三次元で空間を認識し、デザインをした。
 そのような意味で、コルビュジエほど建築を新たな領域へと前進させた建築家はいないのではないだろうか。
 すなわちそれまでの「横から見た正面」と「上から見た間取り」からなる二次元的な美の建築から、「立体的」に立ち上がる三次元の建築としてデザインをしたといえる。

 本書を読むと、近代建築を語ることはそのままコルビュジエを語ることとイコールであるという印象を受ける。

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