◆L・B・アルベルティ 『建築論』2/2
 

-建築における美とはなにか-


 

優美と華麗をもとめて神を見る

 アルベルティの『建築論』の後半、第六書から第十書まで。ここでおもに扱われるのは装飾である。

 装飾は建築を構成する重要な要素のひとつである。
 「用途に合わせ、耐久性のためにきわめて堅固に、優美と華麗のために、できるだけ整備してわれわれは建設してきた」とアルベルティは書く。
 この”用途に合わせる”、”堅固”、”優美と華麗”のうち、最後の”優美と華麗”に装飾が結びつくことになる。

未完に終わった、アルベルティの作品 テンピオ・マラテスティアーノのファサード (https://en.wikipedia.org)

未完に終わった、アルベルティの作品
テンピオ・マラテスティアーノのファサード
(https://en.wikipedia.org)

 「優美と華麗とは美と装飾以外からは生まれない」と当時の人々は考えていた。アルベルティは次のように書く。

「天を仰ぎその驚くべき働きに神を崇めるのも、もちろん、それらの最高の有用性を経験しているためというより、さらに実に、その美しさを見るが故である。」

 これは興味深い記述に思える。神に対する姿勢として、人智を超えたものを扱うべき存在としての有用性がまず第一にある。
 つまり、理解を超えたものを”神の行為”として納得することで恐怖を乗り越えることができる。
 
 しかしそれだけではなく、”美しいから”という理由でそれらを信じているというのだ。
 現在から見たときに、中世やルネサンス期の神に対する信仰は、”妄信”ともとれる部分がある。
 それは”科学が未発達な世界”としてとらえがちだが、必ずしもそうではないのかもしれない。
 ”神々が存在していると考えたほうが美しい”、という冷静な視線がそこにはあるのかもしれない。

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