◆レイナー・バンハム 『第一機械時代の理論とデザイン』
 

-鋭い嗅覚による時代の切り分け-


 

「第一機械時代」とはどんな時代をさすのか

 近代建築黎明期の建築史で本書を超えるものが書かれることは今後もないかもしれない。それほど充実した内容の本である。
 タイトルにある「第一機械時代」とはなにか。
 著者のレイナー・バンハムは第一機械時代を産業革命による機械化から自動車の登場あたりまでの時代として設定している。
 さらに執筆時点の一九五〇年代後半を、生活に大きな変化をもたらす数々の家庭電化が登場した「第二機械時代」と定義している。
 
 西暦でいうと第一機械時代とは一九二〇年代あたりまでのことになる。
 このころ機械の影響によって建築に関する理論とデザインに変化がではじめた。
 建築史でいうとちょうど近代建築の誕生にあたる。

 本書の大きな特徴としてあげられるのは、建築史において重要な「文献」を時代順に観察するという形式がとられていることだ。
 つまり近代前夜からの建築史を、その時代の中心的な理論や代表する建築家によって書かれた文章を参照しながらすすめられていくる。
 その文章を書いた人物がどこから影響を受けたのか、またその文章によってどのような影響をもたらしたのかということを詳述していく。

 

近代建築の萌芽は古典主義のなかにある

 近代建築のはじまりにあるのは、それまでの古典主義的な建築からの脱却である。
 ここでいう古典主義とは歴史主義とか折衷主義とか新古典主義などとよばれるものを総称している。
 いわゆる中世の教会に見られるような豪華な装飾と優美な造形からなる建築物を思い浮かべてもらえればよいと思う。

 近代建築が生まれるためには、それらに対する「反」古典主義的な思想を必要とする。
 しかし突然、「反」古典主義的な著述が劇的に影響力をもつことはない。「反」古典主義的な内容で書かれた文章がいかに刺激的で重要なものであっても、前近代的な状況でその文章の価値を正確に判断できる存在は多くない。

 まずは古典主義の内部から「反」古典主義的な近代建築の萌芽が生まれる。
 そのはじまりには古典主義に対するアンチとしての位置ではなく、あくまでも古典主義内部の亜流としての思想のひとつという位置でしかない。
 その著者はやはり古典主義的な集団の内部に存在し、ある一定の評価をうける人物でなければならない。そうでなければ影響力をもつことができないからである。

 

アカデミズムから生まれた二冊の大著

 本書でまずはじめに言及される書籍は、オーギュスト・ショワジイの『建築史』とジュリアン・ガデの『建築の諸要素と諸理論』である。

 ショワジイの『建築史』は日本語の翻訳があるが、広辞苑のような分厚さの本が二巻分あり、気軽に手にとって読めるものではない。ガデの『建築の諸要素と諸理論』も全五巻からなる大著である。

 ガデはアカデミー、いわゆる古典主義的な教育を受けた人物である。
 ガデが師事したアンリ・ラブルーストもアカデミーの人物である。
 ガデはラブルーストを通じて一九世紀初頭から新古典主義の最盛期までの流れを汲むアカデミズムの伝統につながっている。

 ガデの著作についてバンハムは「かさばった大部のもので、ぜいたくで高価でもあり、広く読まれるというようなものではなく、その置かれる場所は学生の下宿部屋であるよりもむしろ、図書館の書棚であった。」と書いている。
 とはいえ、アカデミズムの中心にいながらも、その書籍が近代建築の誕生に与えた影響がある。
 バンハムはガデの思想のなかで「要素を構成」するという概念に注目する。それは諸要素の集合を意味し、アカデミー派にも近代派にも共通するデザイン哲学を作り上げているという。

 ガデが「構成」をテーマにしたのに対し、ジョワジイは「構造」をテーマとする。
 しかしガデのときの記述のようなわかりやすいかたちでの近代建築への影響は説明されない。むしろ、この時代に書かれた書籍のなかで重要なものである、ショワジイの『建築史』が、その後の近代建築へといたる変化を認識していなかった点をバンハムは指摘する。
 近代建築にとってより重要な存在は、ジョワジイの後継者であるオーギュスト・ペレーとトニー・ガルニエであることを述べて、ジョワジイの章は締めくくられる。

 

ペレーのコンクリートとガルニエの「工業都市」

 ペレーとガルニエもアカデミーで建築を学んだ人物である。
 いまだ時代は古典主義的なアカデミーの手中にあったといえる。

 ガルニエはアカデミーの権威からのお墨付きともいえるローマ賞の受賞者でもある。
 ローマ賞は当時、将来を約束された奨学金付留学制度のことだ。
 ローマ賞の受賞者はメディチ家の資金援助のもと、ローマに留学し、そこで古代都市の復原研究のレポートを作成するのが慣例であった。

 ガルニエはローマに留学し、ここで、「工業都市」という架空の都市の研究を”でっち上げ”た。
 これはいまでいうところの都市計画案の作成に近いものともいえる。
 つまり、ローマ建築という、当時の古代都市研究をするべきところを、架空都市の研究をおこなったのである。
 保守的なアカデミーの、その最高の栄誉であるローマ賞の受賞者が、賞の恩恵のもとで研究、作成するレポートで、アカデミーに反旗を翻したことになる。当時もたいへんなスキャンダルになったらしいが、この「工業都市」はその後、トニー・ガルニエの代名詞として建築史に確かな足跡を残す。

 ペレーについてはコンクリートの使用という点において近代建築へ与えた影響は大きい。
 このときペレーは、それまであった木造構造とフォルムに鉄筋コンクリートを流用した。
 この木造構造とフォルムこそ、ショワジイの影響であった。
 ペレーが建築史において、その名が取りざたされるのは彼の教え子が近代建築の巨匠であるル・コルビュジエであるということも大きい。
 ここに「ショワジイ/カデ」-「ペレー/ガルニエ」-「コルビュジエ」というアカデミーから近代建築へと繋がる系譜が見えてくる。

 

表現主義への評価

 つづいてバンハムはドイツの状況について語る。
 ここで本書の特色のひとつとして、表現主義とよばれる運動を評価している点があげられる。
 表現主義とは、近代主義とも古典主義とも異なる潮流である。
 視覚的なデザインにのみ注目するならば、ポストモダン以降の建築、とくにアンビルドとよばれるものに近いものと言えるかもしれない。

 古典主義建築が華麗で絢爛な装飾を備えた美術的な建築であるとするならば、近代主義建築とはスマートかつシンプルで機能的な建築であるといえる。それは無機的とも言い換えることが出来る。

 そのような観点に立ってみたとき、表現主義の建築とは斬新なフォルムをもった有機的な建築であるといえる。
 これは近代主義建築のもつ無機的な側面に対向している。
 近代主義建築はアカデミー的古典主義建築という、その強固な対立概念を持ちえたことで、自身の足元を固めることが可能となった。

 表現主義の建築は、近代主義建築がひとり立ちする前に誕生してしまったゆえに、対立軸をもつことができなかった。
 そのため建築史の文脈から外れたものとみなされ、「思いつきで生まれすぐに消えていった」という程度の評価のされ方しかしてこなかった。
 
 ところが、バンハムは表現主義的な建築家を、「当時の建築家のうちでもっとも創造的な人物」と評している。
 またその一方で近代主義的な建築家に対しても、「純然たる機能の提供」をおこなったと正当な評価もしており、その視点の平衡感覚に偏りはないように見える。

 

アドルフ・ロースと装飾について

 近代主義建築に相対するものとしての古典主義建築があった。
 古典主義建築の特徴として華美な装飾があげられる。
 しかし近代建築以前でも、決して装飾が手放しで賞賛されていたわけではない。

 一九一〇年頃、すでに装飾は嘲笑の対象であったという。
 それはデザイン能力の欠如のあらわれと見なされていた。
 その後、装飾のなかでも、「よい装飾」と「わるい装飾」とに分類されるようになる。

 それに対し、アドルフ・ロースは、すべての装飾を絶対に排斥すべきとし、『装飾と犯罪』という著書を残した。ここでは、アール・ヌーボーをはじめ装飾的な特徴をもつものは攻撃の対象とされた。

 

ベラルーヘとデ・ステイル

 オランダ近代建築の父とよばれるヘンドリック・ペートルス・ベルラーヘについて語られるとき、とりあげられる書籍は『建築の基礎と展開』である。
 ベラルーヘは、すべての芸術的創造の目的は安らぎであるという。
 さらに安らぎは様式に等しいとし、様式は多様における統一をそなえていると述べる。
 この様式は「デ・ステイル(-様式)」に繋がる。

 

パリとベルリン

 本書の四部、十五章からはパリの一九一〇年代後半以降の内容になる。
 ここにはすでにコルビュジエが登場している。

 まずはコルビュジエと立体派について語られる。
 さらにコルビュジエに影響を与えたさまざまなものについて、また「エスプリ・ヌーボー」で発表された文章である『建築をめざして』(本書では「建築に向かって」と訳されている)についても詳細に考察される。

 つづいてベルリン、バウハウスについて章がつづく。
 ブルーノ・タウトとミース・ファン・デル・ローエがとりあげられる。タウトの著書、『都市の王冠』について、表現主義の記録として重要であると語る。

 他にもさまざまな書物がとりあげられる。パウル・シェーンバルトの『ガラス建築』、グロピウスの『国際建築』、モホリ=ナギの『素材から建築へ』など。

 ワルター・クルト・ベーレントの『新建築様式の勝利』もとりあげられる。
 すでにこの頃には近代建築に関する文献が登場している。
 このタイトルの新建築様式とは近代建築のことに他ならない。
 この書籍が出版された一九二七年には近代建築はすでに大きく成長していたといえる。

 

”近代建築”という概念と進化しつづける科学技術について

 バンハムの記述はコルビュジエやミース、グロピウスなど近代建築の代表的な建築家を参照しながら機能主義に関するものへと進む。

 そして読み進めていくと、機械の進歩、科学技術の進歩に戸惑っているかのように見える部分もある。
 つまり技術や機械、工業と密接にかかわりあう近代建築が、その絶えず進化していく技術の変化に対応しきれないまま、定型や理論化というかたちで形骸化していくことを危惧している。

 これは”近代建築”として定義したときに、あらかじめ決まっていた運命のようなものだといえる。
 つねに変化していく科学技術を取り入れていることで成立しているものを定義づけという固定化することによって生じる矛盾が近代建築の限界としてあった。
 技術や機械の進歩は建築そのものを変えていった。
 やがて近代建築という範疇では語りきれないものが誕生した。それは「ポストモダン(=近代のあと)」とよぶしかない、カテゴライズ不能な状況に陥るしかなかった。

 バンハムは、本書執筆時点の一九五〇年代を「第二機械時代」と称し、明確に「第一時代」とは分けている。
 当時、一九五〇年代を近代主義の範疇に含めて考察しても、おそらく問題にされることはなかったであろう。
 つまり、「機械時代以降」ということで一九五〇年代までを包括的にとらえて建築史を書いてもよかったはずだ。

 しかしバンハムはそうはせずに、あくまでも一九二〇年代までの考察で留めている。それは近代建築にやがて訪れる、「技術からの遅れ」を敏感に感じ取っていたバンハムの嗅覚がそうさせたのかもしれない。


【関連】
建築書レビュー 一覧(コルビュジエ、ライト、ギーディオン他)
レイナー・バンハム 『環境としての建築』
アドルフ・ロース 『装飾と罪悪』
モホリ=ナギ 『材料から建築へ』
ル・コルビュジエ 『建築をめざして』


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