◆ ミース・ファン・デル・ローエ 『建築家の講義』
 


寡黙な近代建築家、ミース

ミース・ファン・デル・ローエはル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトと並んで、近代建築の巨匠とよばれる建築家だ。この本は1955年から1964年までのミースのインタビューをまとめた内容になっている。

ミースが書いた文章で、現在日本語で読めるものはほとんどない。そういう意味ではこの本はミース自身の語った内容が読める貴重なものだ。コルビュジエの雄弁さに比較すると、ミースの寡黙さは対照的である。

ミースはドイツ出身の建築家だ。まず最初に影響を受けた建築家がシンケルだという。
「若くしてベルリンに移り住んで、周りを見渡した際、シンケルに興味をもった」
「彼の建築は、古典主義の優れた実例だった。」

カルル・フリードリッヒ・シンケルはミースよりも100年ほど前に活躍した建築家で、古典主義の作風で知られる。

シンケル設計のベルリン・旧博物館(https://ja.wikipedia.orgより)

シンケル設計のベルリン・旧博物館(https://ja.wikipedia.orgより)

その後、ミースはペーター・ベーレンスの建築事務所で働く。ミースの初期には古典的伝統からの断絶が起きている。この断絶はベーレンスの影響であることをミースは語っている。

「オランダでは、私はヘンドリック・ぺトルス・ベラルーヘの作品を見て、丹念に調べていた。」
「彼の本を通して、建築は建設でなければならない、しかも明快な建設でなければならないという主張を読んだ。」

ちなみに、このベーレンスの事務所ではコルビュジエやグロピウスも一時期、在籍していた。

建築とは文明の表現

ミースは本書で次のように述べている。
「私は、建築は文明と確かな関係があるという確信を、ますます強くもつようになっている。」
「結局のところ、建築は文明の表現でしかあり得ないと、私は真に信じている。」

文明の表現とはどういうことだろうか。それは自らの主観ではなく、客観からはじめることだ。

「私の考えでは、建築とは、主観的な出来事ではない。その動向は客観的な方向を向いていなければならない。」
「理由のないところで、構造体を曲面形にする必要はない。」

建築家が自身の作家性を主張することにミースは否定的だ。
「時代を変えたいとは思わない。時代を表現したいのだ。それが、私の仕事の全体なのだ。何も変えたくなかった。」

この姿勢は自分自身の個性を主張する姿勢とは正反対にあると言える。ミースのこのような姿勢はどこに由来するのだろうか。

 シーグラムビル[1958年](https://ja.wikipedia.orgより)

シーグラムビル[1958年](https://ja.wikipedia.orgより)

哲学と建築

ミースは哲学書を読んで次のように考えたと語る。
「建築は、時代に属する、単にある時間に属するのではなく、まさに時代に属する、と考えている。」
「このことを理解してからは、建築において、流行を追い求めるようなことはしなくなった。」

さらにこう自問する。
「建築はいかにあるべきか。現在の事実から何が結実するのか。」
自らのオリジナリティではなく、いまの時代、いまある文明をあらわすことを目指す。

建築が時代に属し、その文明をあらわすものとするミースは自身の模倣についても理解をしめす。
「しばしば『もし誰かがあなたを模倣したら、どう思いますか』と聞く人がいる。それは私にとって全く問題ではない、と私は答えている。誰もが使えるような何かを見つけることこそが、我々が仕事をしている理由なのだ。」

天才の行く道と、客観的な道

ミースは優れた建築は建築家の固有の才能によるものではないと考える。才能を軽視するわけではないが、それ以上に原理を用いることを重要視する。

ミースはフランク・ロイド・ライトについて、次のように語っている。
「確かに、彼は天才だ。そのことに疑いはない。しかし、彼は真の追従者を持てないのではないかと、私は思っている。」

つまり天才であるがゆえに後につづく建築家が現れないのではないかというのだ。
「彼が行うようなやり方で事を行うには、多くのファンタジーが必要で、しかし、ファンタジーを持つと、異なるやり方で行ないたくなる。」

ミースはライトのような、自分にしかできないやり方を選択しようとはしない。
「私は、異なった道を行く。私は、客観的な道を行こうとしている。」

ファンズワース邸[1951年](https://ja.wikipedia.orgより)

ファンズワース邸[1951年](https://ja.wikipedia.orgより)

変わらない原理で周りにある文明を扱う

本書のなかで次のような質問がある。
「-あなたの建築スタイルから学んだ誰かが、後世に、より豊かな何かを発展させることを想像していますか。」

これに対しミースは答えている。
「この点については、スタイルという言葉は、使わない方がいいだろう。」「誰かが、同じ原理、同じアプローチを用いたら、といってほしい。その上でもし彼が優れた才能を持っていれば、より豊かにできるだろう。しかし、原理においては、変わらないだろう。」

つまり才能によって豊かになるのは作品であり、原理そのものは変わらないというのだ。
では、変わらない原理を用いながら、その時代の建築をつくるとはどういうことだろうか。

「私は文明の歴史には興味がない。我々の文明には興味がある。それを、生きているのだから。」
「長い間の仕事、思考、勉強の末、私は、周りにある文明こそを扱わなければならないと信じている。」
「建築は、他ならぬ我々の文明を表現することができる。」

人の髄を打つなにか

対話のなかでミースは「うまく表現できない」と言いながら、なんとか伝えようとしている箇所がある。

「文明を定義すること、そして、我々の時代を定義することは難しい。」

これはミースの建築哲学の中心となるものが、それを定義することが難しいと語っている。

「しばしば、何かを定義することは、不可能だ。しかし、人の髄を打つ何かをみることができる。」

それが大切だという。
「うまく表現できないが、それなのだ」と。

ベルリン国立美術館・新ギャラリー[1968年](https://ja.wikipedia.orgより)

ベルリン国立美術館・新ギャラリー[1968年](https://ja.wikipedia.orgより)

この本でミースは繰りかえし、「客観的」、「原理」、「真理」、「明快」、「理性的」という言葉を使う。
自分自身のオリジナリティを発揮することには興味がないように見える。ミースの寡黙さは、このような姿勢からきているのかもしれない。

【関連】
フランク・ロイド・ライト 『フランク・ロイド・ライトの現代建築講義』
ヴァルター・グロピウス 『建築はどうあるべきか』

Comments:
  • […] I found this blog when I searched for some critics about Guggenheim NY. I went to there on last Saturday. It was nice. Guggenheim NY seems to be designed with simple concept. As we can guess from its facade, whole space was designed like a way. In th […]

    8月 16, 2016 — 13:07

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