◆ヴィンセント・スカーリー 『アメリカの建築とアーバニズム(上)』
 


アメリカ建築のはじまり

本書は都市計画も含めたアメリカの建築全体について書かれている。著者のヴィンセント・スカーリーは序において、この書物は「批評的な論文を意図したものであって、厳密な編年史を意図したものではない」と書いている。

アメリカ先住民、とくに西南部のインディアンの建築からはじまり、日乾れんがで建築する聖堂と教会、ヨーロッパからの移住者たちによる住宅、当時の植民地という政治的な要素が影響を及ぼした都市計画、グリッド・プランと呼ばれる正方形で区切られた街づくり等々、時代順にアメリカの建築が語られていく。

断崖に建てられた日乾レンガの建築群 アナサジ族のメサ・ヴェルデ (https://ja.wikipedia.org)

断崖に建てられた日乾レンガの建築群
アナサジ族のメサ・ヴェルデ
(https://ja.wikipedia.org)

アメリカでは木造構造建築が可能だった

アメリカの建築では、かつてのヨーロッパにあった石の壁で天井を支えるといったものではなく、早い段階から木材を使用し建てられていた。それはイギリスの中世木造住宅がそっくりそのまま輸入されたことによる。

当時の住宅は、暖炉だけが丈夫な石で作られており、それが住宅の中心となってもっとも大きな存在感を示していた。この頃の建築の特徴としては、自立し、やや気どり、非寛容でむしろ四角ばり、直線的であったとスカーリーは書く。

先住民、開拓、植民地といった、これらの時代の建築については、建築家よりも建築物そのものが中心的に語られる。誰が設計したかということはあまり重要視されない。

最初にスカーリーが建築家として焦点を合わせたのは、ピーター・ハリスンだ。スカーリーはハリスンのことを、「最初のアメリカの建築家とよばれるべきだろう」と書く。ハリスンはイギリスのパッラディオ風の建築家たちの書いた本を読み、彼らと同じくウィトルウィウスやヴィニョーラの本を読んで参考にした。

ハリスンの代表作、レッドウッド図書館について、スカーリーはパラディオ風だが、規模が小さいためにぶかっこうで奇妙だ、だが小さいものでも英雄的で原始的な力を感じさせると語る

レッドウッド図書館 (http://www.palladiancenter.org)

レッドウッド図書館
(http://www.palladiancenter.org)

その後、アメリカの建築は独立戦争を経て、変化がおきる。それまでは独立を支えてきた英雄的な側面が建築にも強く出ていたが、戦争後はそれらが薄れて優雅で優美なものへと変化していく。

スカーリーが書くのは、イギリスからの影響を受けつつも、アメリカ独自の進歩をいく建築についてである。中世の大型宗教建築のようなものの代わりに、アメリカにおける大型建築とは公共建築である。それらは正面に列柱を持つものが多い。これは時代が経ても変わらない傾向にある。

フランク・ファーネスとヘンリー・ホブソン・リチャードソン

スカーリーはフランク・ファーネスのプロヴィデント・ライフ・アンド・トラスト・カンパニーを高く評価している。これはルイス・サリヴァンにも影響を与えた建築作品である。がっしりとした塊が二段に積み上げられたような印象を持つ作品である。この直立性、圧縮、引っ張りという肉体的な効果が、のちの建築にも影響を与えたとスカーリーはいう。

Provident Life & Trust, Philadephia, 1879 (http://hanser.ceat.okstate.eduより)

Provident Life & Trust, Philadephia, 1879
(http://hanser.ceat.okstate.eduより)

さらにヘンリー・ホブソン・リチャードソンを紹介する。リチャードソンは、垂直から水平へと住宅の設計を変えた。
フランク・ファーネスとヘンリー・ホブソン・リチャードソンは、やがてルイス・サリヴァンとフランク・ロイド・ライトというアメリカを代表する建築家へと繋がる系譜にある。

その一方で、アメリカの建築において忘れてはならないもうひとつの系譜がある。それがボザールの流れである。通常、サリヴァン、ライトの近代主義建築を中心に書いたとき、その逆に位置するボザールは軽視されがちである。

しかしスカーリーはアメリカ建築への功績としてボザールがもたらしたものを非常に高く評価している。

アメリカ建築を支えたボザール

スカーリーは次のように書く。
「郊外住宅の次のステップは外皮を打ち破るか、あるいは圧力を和らげるしかなかった」
その上で、ライトは前者を選び、ボザールは後者を選らんだという。

ボザールの代表としてマッキム、ミードとホワイトがあげられる。この複数の建築家を擁する設計事務所の活躍は大きくアメリカの建築史に残るものであった。優雅な平面、平板で白い柱の細部をもった建築である。さらにスカーリーはボザールの建築家のなかでとりわけ表現的な存在としてバーナード・メイベックをあげる。

”表現的”というのは近代建築においては否定的な意味合いをもつかもしれないが、ボザールにおいてはそうではない。メイベックについては、「デザインにおいて形態的にフレキシブルで折衷主義的であり、情緒的に多様なものであった」と語る。スカーリーはボザールに対して、とくにその歴史性についてかなり好意的にとらえている。

マッキム、ミードアンドホワイト設計のコロンビア大学図書館 (https://ja.wikipedia.org)

マッキム、ミードアンドホワイト設計のコロンビア大学図書館
(https://ja.wikipedia.org)

スカーリーはボザールに対して、次のような認識でいる。

まず、ボザールはフランスの芸術教育システムがつくったものである。それは歴史に支えられた体系的なものである。そのため、個人の完全な独創性というもの信じてはいなかった。けれども共通の形態語彙のなかで、かたちを個性的に取り扱えることはできると考えている。

これはルネサンス的方法でもある。ルネサンスの作品が個々の違いがあっても共通した特色を有しているのは、それを可能にしている秩序によるものである。

これは近代建築には見られなかった要素だ。コルビュジエとライトとミースのあいだに共通したものは見出せない。では、そのようなボザールがアメリカにもたらしたものがなんだったのか。

スカーリーは次のように書いている。
「アメリカが、国際的な、あるいはむしろ帝国主義的な時代に入りかかったちょうどその時機に、フランス派がアメリカ建築に与えたものは、まさにその秩序―秩序と伝統―だったのである」

つまり、伝統のない新興国家が定まった方向性もなく進歩しようとするときに、歴史に支えられたあり方で建築、都市計画に、ある秩序をあたえていたがボザールであった。

【関連】
R・ヴェンチューリ 『建築の多様性と対立性』 
フランク・ロイド・ライト 『フランク・ロイド・ライトの現代建築講義』


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