◆カミロ・ジッテ 『広場の造形』
 


一世紀以上前の本

1901年に書かれた本である。著者は都市についての考察で著名なカミロ・ジッテ。本書では中世ヨーロッパの広場についての考察が中心となる。

ヨーロッパの教会などの歴史的建築物の前にひろがる広場を思い浮かべてもらうとよいと思う。そのような建築物が道路に面して建てられているところはあまり見かけない。

逆に、いまでは公園などを除いて、大きな広場というものをあえてつくることはしない。とくに日本ではある程度の人口がある地域で、敷地に何も建てずにそのままにしておくということはまず考えられない。

本書には現在の都市計画について批判的に指摘している点がいくつかある。
現在といってもいまから100年以上も前の時点のことではあるが、この指摘には今でも通じるものがある。

批判しているのは、都市計画というものがあまりに機械的で正確な計画をしようとするあまり、芸術や美と乖離してしまっているからだ。

サン・ピエトロ広場 (http://ja.wikipedia.org)

サン・ピエトロ広場
(http://ja.wikipedia.org)

中世やルネサンス期の都市は芸術や美と密接に結びついていた。現在との違いの象徴として、本書では広場に注目して考察する。
中世の広場という、執筆時点でも十分に過去のモチーフを扱っているにもかかわらず、本書は出版直後から大きな反響を呼んだ。

さらに100年以上経過している現在においてもカミロ・ジッテの都市論はさまざまな建築書で言及されている。

かつての広場とは

本書では中世、ルネサンス、バロックの都市の形やモニュメントの構成について書かれている。

都市については広場の考察が中心となる。当時の広場は、「もっぱら光と空気をとり入れ、家また家の単調な海をつき破り、ときには重要な建物を建築的な額縁のなかにいれてはっきりとみせるのに役立って」いると書く。

広場は密集した家屋群のなかで光と空気を取り入れる。額縁というのは広場に立って建物を見たときに絵画のような効果を生むということだ。
広場がなければ、立っている場所から背後の建物以上に後ろに下がることはできないし、あるいは背後の道以上に下がることができないために、絵画的な効果を得ることはできない。

ミラノのドゥオモ広場 (https://ja.wikipedia.org)

ミラノのドゥオモ広場
(https://ja.wikipedia.org)

また当時の都市の主要な広場では公共生活の大部分が営まれていた。

「まさにここにおいて人の往来が一番激しく、生きいきとしていたのであり、公共の祝祭が行われ、出し物が上演され、公式の儀式が催され、法律が公布されたのである。」

そのため古い都市の広場に建てられるモニュメントは中心にはない。広場は公共生活の場であるので、モニュメントは中央ではなく周囲に沿って建てられるのである。

広場周辺のモニュメントと建物

中世とルネサンス期において都市の広場は公共生活という実際上の用途をもっていた。そのため周囲の建物と調和のある関係をもっていた。

たとえば教会もそのひとつである。広場が公共と結びついている以上、個人宅に囲まれていてもその用途に合わないのである。

またモニュメントも広場のわきの方に建てられた。これは現在と大きく異なる点のひとつである。
ジッテは「ところが今日は反対に、広場の中心こそモニュメントを配する唯一の適切な場所だと考えられている。だから広場は、どんなに大きくしてもたった一つのモニュメントしか迎えられないことになる。」と書く。

モニュメントの数が芸術との結びつきの強さと直結するわけではないが、周囲にさまざまなモニュメントがある広場と、中心にひとつしかない広場とでは、どちらがより芸術と結びついているかは明らかである。

かつての広場というのは最初に完成されたかたちを決め、それに従ってつくられたのではない。ゆっくりとした歴史的発展によって形成されていった。

現在の都市計画ではそのようなやりかたで開発がおこなわれることは難しい。
ジッテは今日の都市計画について、「製図版の上でまたたく間に勝手な仮定が行われる」と批判的に書く。

サン・ピエトロ広場 (https://ja.wikipedia.org)

サン・ピエトロ広場
(https://ja.wikipedia.org)

歴史的発展がもたらす不規則さ

古い広場が不規則なかたちをしていることにジッテは注目する。それこそが歴史的に段階を踏んで発展してきたことを物語っている。
つまり、それ以前にあった運河や道や建物の形によって引かれた線を踏襲している。

しかしその不規則さは不快さをもたらしはしない。より自然さというものに近づく、とジッテは言う。
現代の都市は規則的につくろうとしてきたために、その一部に不規則さがあると奇妙に際立ってしまう。

「昔の都市の非常に風変わりな不規則な形をした広場がめったに醜悪な様相を呈することがないのに、現代の規則的な平面のなかのちょっとした不規則な角などが、きまって醜い印象を与える」

ナヴォーナ広場(ローマ) (http://ja.wikipedia.org)

ナヴォーナ広場(ローマ)
(http://ja.wikipedia.org)

現在の計画は規則性を重んじ、恣意的な線を好まない。結果的に左右対称になりがちである。不規則さは多様であり豊かさでもあるとジッテは書く。これはR・ヴェンチューリが『建築の多様性と対立性』で述べたことにも通じる。

多様性や豊かさを評価すると、現在のありかたには否定的にならざるをえない。

「左右対称への傾向は流行病にまでひろがっている。今日、左右対称の概念はあまり教養のない人たちになじまれ、それぞれ左右対称という唯一の決定的な判断の基準を持っていると思い上がっているために、都市計画のようなむずかしい芸術上の問題に発言する資格があると信じている」

広場の中心を空けておくということ

古い広場ではモニュメントを広場の中心には建てないことはすでに書かれた。それらは広場の周囲に建てられる。その理由には広場が不規則なかたちをしていることも関係している。

「古い教会は絶対に広場の真中には建てられていないし、その平面図の幾何学的中心点は広場のそれと決して一致していない」
「これは、なんでもかんでもコンパスと定規を使うという無意味で杓子定規な当代の習慣とは、まさに正反対」

広場がもたらす効果として、建物を額縁にいれてはっきりと目立たせる効果があった。これは建物が広場の中心にないということがもたらした効果でもある。

古い都市と現在の都市とでは、その構成として、建物が立っている部分と空いている部分との関係が逆転しているとジッテは書く。

今日では建物の敷地の方が閉じた規則的な形をしており、その残りが道や広場になる。ここで”規則的な形”こそが定規とコンパスで引かれた機械的な形を意味している。

かつては広場や道といった空いている空間は形をよく整えた閉された構成をしていた。このときの”整えた”というのは機械的な長方形や正方形という意味ではない。
その場に立ったときに感じることのできる、美しさや快さを意味している。それは定規とコンパスでは引くことのできない形なのだ。

R・ヴェンチューリ 『建築の多様性と対立性』
アンリ・ルフェーヴル 『都市への権利』


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