◆ケヴィン・リンチ 『都市のイメージ』
 

-良書と奇妙な沈黙-


 

都市計画という目的

 建築にとって都市計画とは最終的な目的地のひとつであるといえる。

 人間が寝起きし、生活する場である住宅をつくるがことが建築のはじまりとして仮定するならば、そこから用途に合わせて拡大し、大型の建物や施設の建築へと拡がる。さらにそれらを総合的にとらえる都市計画へと至る。
 都市計画の難しさは、はじめに建築の中心にあった「人間」を周辺へと追いやり、その代わりに「都市」そのものを中心に置いてしまうところにある。
 それは”計画”というものに内在している、未来を限定させる不自由さのためかもしれない。あるいは都市ではあまりに多数の個人が存在するために、どの個人を中心に置けばよいかわからないという側面があるためかもしれない。

 そこに暮らす人々が、それぞれの必要に応じてその「場」を使用していく。そのような集団によって成り立っている土地にはあらかじめ用意された都市計画のようなものはない。そこには混沌とし、猥雑な集落が形成される。集落には指導的なリーダーの存在が必要とされ、その地位にあるものがさまざまな調整を行い、決定する権利をもつ。

 やがてその地位にあるものは土地の為政者としての権力を有するようになる。
 その地位を巡り、争いが起きることは容易に想像できる。その争いとは、集団の内部で起きるものだけでなく、その地位の奪取を目的とした外部からの攻撃にさらされるということも起こりえる。

 為政者はその土地を自身の保全を第一に優先して開発する。
 歴史上の都市計画を振り返れば、外部からの攻撃や、内部からの暴動を防ぐことを目的としたものが多いことがわかる。
 また比較的、社会が安定してくると、田園都市や工業都市など、その生産性や効率性を重視する傾向も生まれてくる。
 いずれにしてもそこで暮らす人間の自由度は部分的に限定されることになる。

 たとえば道路は計画的にその幅を変更され、自動車はこちらの道路を、歩行者はあちらの道路を、というように定められる。
 どのくらいの大きさの土地にどのくらいの人数が生活するのが適切であるかが検討され、住居としての場、公共のための場、生産の場など、利用目的に合わせて用意される。さらに植樹など、人工的に自然を配備され、都市としての形を作成していく。
 重要なのは効率的に利用できる「場」をつくることなのである。

 

本書の特色

 建築に関する書籍は、建築家の自伝、建築論、建築史、作品集などに分類することができる。
 さらに、都市計画というのもひとつのジャンルとして成立するほど、その分量は大きい。
 本書は都市計画についての必読書としてあげられる一冊である。
 しかし、具体的な都市計画案を参照し論評しているようなものではない。

 本書では、すでに存在するアメリカの都市について、そこで生活する住民を面接し、その結果を詳細に分析している。
 そして都市があたえるイメージとはどのようなものかを記録している。
 ここでは道路や目印となる建物などを視覚的な分類のしかたで整理し、その組み合わせや構造によってもたらされるイメージを記述している。

 また付録に収録されている文章には、過去の文学作品や神話、各地の民族の伝承などからの引用も豊富にある。
 人が建築、都市を含めその土地や地域からどのようなイメージを導き出しているのかということにも注目している。そのような意味では人文科学、なかでも民俗学や文化人類学、社会学といった分野の仕事に重なる部分が大きい。

 

サンプルの都市からみえてくるパターン

 本書では、都市がもたらすイメージを分析するにあたり、ボストン、ジャージー・シティ、ロサンゼルスのアメリカの三つの都市をサンプルとして使用する。

 それらの都市の住民のなかから少数のサンプルを選び、面接をおこなう。
 面接では説明、位置づけ、見取り図などについて長時間にわたって質問される。
 ボストンでは約三〇人、ジャージー・シティとロサンゼルスでは一五人が面接を受けた。

 しかしケヴィン・リンチ自らが語るように、「サンプルが、小さい上に専門職階級や管理職階級に片寄っていたので、この調査から真の”パブリック・イメージ”が得られたと主張することはできない」ということは、ひとまず言う必要がある。

 しかし本書の目的はボストンやその他の都市の”パブリック・イメージ”を得ることではない。
 この面接からわかるのは、グループ・イメージと呼べるものがたしかに存在するということと、そのイメージを形成するうえで、環境の形態そのものが重大な役割をつとめているということである。

 本書が指摘するのは、「各個人が描く心像はそれぞれ独自のものであり、その内容の一部はめったに、または絶対に、他人に伝達されない」が、だいたいにおいてそれはパブリックイメージに近いものになるということである。
 そのイメージをもたらすものとしては、その地域がもつ社会的な意味や歴史などもあるが、本書ではそのような部分は詳述しないこととしている。あくまでも形態の役割を明らかにすることを目的としているからである。

 都市のイメージのもとになるものは物理的な形態に限っていうと以下の五つに分類することができる。
 それは道路、縁、地域、接合点・集中点、目印である。

 もちろんそれらは、それを観察するものによって異なる形態になる。
 高速道路は、車を運転するものにとっては「道路」であるが、歩行者にとっては高速道路のこちら側とあちら側という意味で「縁」となる。とはいえ観察者がどのようなレベルで観察する場合にも、常にこれらの五つの領域で説明可能であるという。

 この五つの要素がもたらすイメージについて各要素ごとに詳細に述べられる。
 また要素間の相互関係やイメージのレベル、特質、展開などにも詳細に語られ、さらにつづけて実際に都市をデザインするにあたり、どのようなデザインがどのようなイメージを与えうるかということが書かれている。
 この部分は、ある意味で本書のもっとも中心的な部分である。

ボストン(http://ja.wikipedia.orgより)

ボストン(http://ja.wikipedia.orgより)

 

本書が見せる丁寧な解説

 本書は都市デザインが与えるイメージに関して、実際に面接した結果という資料をもとに展開される。
 さらに、その内容も詳細に分析されている。そこからさらに、それらからもたらされるイメージにあわせたデザインの検討へと進むのである。
 この部分だけを見ても、論理的に整理された非常に優れた本だといえる。

 さらに本書における特筆すべき点は、このような内容において見落とされがちな視点を補足することも忘れていないという点である。
 たとえば前述したように、イメージをもたらすものとしてその地域がもつ社会的な意味や歴史などが大きな役割をもつことをあらかじめ述べている。その上で本書の目的として都市の形態のみを取りあげるという、ことわりを入れている。

 また、重要なのはどのようなイメージをもたらすかということである、と明言している。
 そのために形態をどのようにデザインするかということも重要だが、それとは別に、観察する市民を教育することで彼らの心像のイメージを改良することができるということも同時に記すのである。

 このように本書では、「都市のイメージ」というタイトルから大きく逸脱することなく、興味深い資料を用いて詳細な分析をおこないっている。
 さらにその分析のもつ可能性とその限界について、またその目的とそのために必要な別の方法について、周到に書かれている。
 そのような意味でも、とても丁寧に書かれた良書であるといえる。

 

結局、なにがやりたかったのか

 しかしながら、本書を読んでいると、その充実した内容に反してどこか漠然とした違和感を覚えてしまう。
 道路や接合点などその要素について詳細に語られれば語られるほど、その背後から疑問符が浮き上がってくるような心地の悪さを感じる。
 その理由がなにかを考えてみると、それはこのような考察を経た先にある目的地がわからないという点にあるように思える。

 都市計画とは建築の最終的なひとつの地点ではある。
 都市とはどうあるべきなのか、どのような都市が理想なのか、それを考え現実のものとしていくのが都市計画というものではないだろうか。

 既存の都市から、その形状がもたらすイメージを分析し、それを活用してデザインする。
 そのこと自体に問題はない。しかしそのとき、どのような都市にするのかという「思想」がそこに見えなくなってしまっている。

 都市に視覚的形態を与えるということについてケヴィン・リンチは次のように語る。
「このようなプランの最終目標は、物理的形態そのものではなく、心の中に描かれるイメージの質にある」と。
 つまり、どのような道にするか、あるいはどのような目印となる建物をつくるか、などということよりも、それによってもたらせるイメージのほうが重要だということだ。

 では、そのイメージとは「どのようなものであるべきなのか」あるいは「どのような都市にしようとするのか」という、その部分こそが都市計画においてもっとも重要な部分ではないだろうか。

 本書を読むと、分類された要素が与えるイメージについて、「なるほど」とは思う。
 しかしそれを用いてなにをするべきなのかという、その先にあるべきものに焦点が合わせられていない。
 そのことが、読後に沈黙に襲われる要因になっている。
 本書のあつかう題材の可能性の限界や代替案を周到に並べられるほど、その沈黙がつづく。

 また本書の、その題材とするものを実務で利用するならば、まさに本書が指摘するように「サンプルが小さい」上に、「社会的な意味や歴史」のもつ影響が大きいという側面もあるために、分析の妥当性が揺らぎはじめる。
 このときに揺らぐ分析の妥当性とは本書の肝となる部分なのである。
 すると本書で書かれていることの意味とは一体なんだったのかということになってしまう。

 「どんな本か」と問われれば「興味深く、丁寧に書かれた良書」と答えるしかない。それでも読後には奇妙な沈黙が残るのである。

【関連】
建築書レビュー 一覧(コルビュジエ、ライト、ギーディオン他)
槇文彦他 『見えがくれする都市』
アルド・ロッシ 『都市の建築 』
アンリ・ルフェーヴル 『都市への権利』


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