◆R・ヴェンチューリ 『建築の多様性と対立性』


コルビュジエとヴェンチューリ

 この本について、冒頭に収録されたヴィンセント・スカーリーによる紹介文のなかの一文がとくに有名だ。「この本は、一九二三年のル・コルビュジエ著『建築をめざして』以降、建築について書かれた著作のうち最も重要な本」

 スカーリーはこの紹介のなかで、ル・コルビュジエとヴェンチューリを対比的に語り、後者の考察がいかに優れているかということを強調する。本書を読むとコルビュジエの『建築をめざして』と比較して、非常に読みやすい印象を受ける。本書の内容を簡潔にまとめるなら、ヴェンチューリ自身の次の一文で要約可能だ。
「状況を少し違った角度から見ると、好ましからぬと見えたものが好ましいものとみなしうることもあるのではなかろうか」

ラスベガス・ストリップにある
「Welcome to Fabulous Las Vegas」の看板
(http://www.weblio.jpより)

異なる要素を統合する

 これまで建築が礼賛してきたのは「全体が統合されている」ことだ。そうでないものには、まとまりに欠けたもの、一貫性のないもの、曖昧なものとして見なされ、評価の対象から外されてきた。ヴェンチューリは統合の中にも別の視点を与える。別の視点とは「多様性」と「対立性」の二つだ。
 多様性とは<それとも>という語でつなげられる二重の機能のこと。たとえば、「中央に裂け目のある建物」なのか、<それとも>、「ふたつの建物がくっついたもの」なのか、というように。対立性とは<にもかかわらず>という語でつなげられる二重の意味のこと。たとえば、中庭のような空間について、「閉じている」、<にもかかわらず>、「開かれている」、というように。

 本書ではこの「多様性」と「対立性」について、じつに多くの建築写真を用いながら、その例証を並べていく。現代の建築作品だけでなく19世紀以前の建築も参照する。ヴェンチューリは全体の統合の重要さを説く。さらに統合のなかでも、「排除によって達成される安易な統合」よりも、「包合によって達成される複雑な統合」を重要視する。なぜ「複雑な統合」がより重要なのか。たしかに同じ要素のみでの「安易な統合」は簡単に思える。一方、さまざまな要素を含みながらその上で全体のまとまりを崩さなのはより難度の高い作業に思える。
 「多様」であること、「対立」していること、これらはすなわち異なる要素を含んでいることを意味している。その上で統合されているところにヴェンチューリは重要さを見出している。

ヴェンチューリの代表作、『母の家』 (http://storiesofhouses.blogspot.jpより)

ヴェンチューリの代表作、『母の家』
(http://storiesofhouses.blogspot.jpより)

難度の高さが重要さなのか

 「多様性」と「対立性」という切り口は建築の価値がどこにあるのかを探る手がかりになる。
 ヴェンチューリは「多様性」と「対立性」の存在をいくつもの例を出しながら示す。歴史的な名作とされる建築にも見られる「多様性」と「対立性」を多数の写真を用いながら列挙していく。提示される写真とそれに対するヴェンチューリの説明は一致しており、そこでの説明に間違いはない。しかしこれだけ多くの例を出してよいのであれば、「多様性」や「対立性」以外にも共通するものをいくらでも見出せるのではないかと思えてくる。膨大な建築作品のなかから該当する部分を切り取り、並べることで、いくらでも別の切り口は作成可能であろう。

 ではなぜ「多様性」と「対立性」が重要なのか。全体を統合する難易度が高くなるから重要なのか。これは「価値とは何か」につながる問いだ。
 本書の存在は「建築の価値とは何か」という考察を一歩前進させている。ヴェンチューリは「多様性」と「対立性」というものを「好む」と言っている。つまりヴェンチューリにとっての重要さとは難易度の高さなどではなく、自身が「好む」かどうかにあるのだ。
 過去の膨大な資料を参照すればさまざまな共通点を切り出すことが可能だ。そこで取捨選択の基準として用いたのが自分の「好み」であるとヴェンチューリは明言するのだ。批評とは最終的にはそこを基準にするしかないのではないか。

建築家としてどう生きるか

 ヴェンチューリは本書の冒頭で述べている。
「本書は建築批評のひとつの試みであると同時に、私の作品を間接的に説明するひとつの弁明でもある」

 自身が建築家として設計するときに、すなわちポストモダン的な状況において設計するときの指針として、「状況を少し違った角度から見ると、好ましからぬと見えたものが好ましいものとみなしうることもあるのではなかろうか」とヴェンチューリは語るのである。
 機能的で効率的なモダン建築はすでに存在している。プレモダンな歴史主義に戻るわけにもいかない。ではどうするか。そこで彼が選択したのが、「状況を少し違った角度から見ると、好ましからぬと見えたものが好ましいものとみなしうることもあるのではなかろうか」だった。このとき「好ましからぬ」とか「好ましい」とかと感じているのは他でもない自分自身だ。
 本書は価値の相対化が進むポストモダン以降の状況で、建築家が自身の方向性を定める指針を述べたものでもある。

【関連】
R・ヴェンチューリ 『ラスベガス』
ヴィンセント・スカーリー 『アメリカの建築とアーバニズム(上)』