ヴィッラ・アドリアーナとは
磯崎新が世界の代表的な建築物について述べるシリーズの一冊。他の巻と同様に建築評論家の五十嵐太郎との対談形式で、写真の撮影者は篠山記信。
ヴィッラ・アドリアーナは2世紀頃にローマ時代の皇帝、ハドリアヌス帝が建てた。単体の建物ではなく、複数の神殿や図書館、ナイル川を模した巨大な池など、それら全体のことを指す。現在ではこれらの建築物は大きく崩壊し、廃墟の様相を呈している。同じハドリアヌス帝が建てたローマ時代を代表する建築であるパンテオンとは対照的である。このヴィッラ・アドリアーナは多くの建築家に影響を与えてきた。
この本のなかで、ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライト、リチャード・マイヤーやフランク・O・ゲイリーなどの近代、現代を代表する建築家への影響を指摘している。
皇帝の私的な建築
ヴィッラ・アドリアーナについて語るときにハドリアヌス帝の愛人であるアンティノウスという人物を避けることはできない。ハドリアヌス帝も愛人のアンティノウスもともに男性だ。アンティノウスは絶世の美青年といわれ、彫刻にもなっている。アンティノウスはナイル川の上流にて投身自殺する。そのとき彼は18歳であったとされる。
ヴィッラ・アドリアーナにはカノプスと名づけられた細長い池がある。カノプスとはエジプトの重要な港の名である。これはナイル川で死んだアンティノウスを偲んでつくられたとされる。このカノプスのまわりには彫像が並べられ、その像が水面に映り、ヴィッラ・アドリアーナのなかでももっとも印象的な風景をつくりだしている。
これらの像はもとから池の周辺にあったわけではない。長期にわたって、この池は埋もれてしまっており、1950年代になって発掘されたのである。発掘された彫像たちのギャラリーとして、池の周辺が選ばれた。建築されたのが西暦118年からとされるので、おおよそ1800年以上も長きに渡って埋もれたままになっていたことになる。磯崎はヴィッラ・アドリアーナがひとりの皇帝の私的なものである点に注目する。
「ヴィッラ・アドリアーナは一応、ヴィッラ、つまり「別荘」と呼ばれているとしても、その規模は、当時のローマの四分の三の面積をもっていたといわれています」
「彼は、一つの都市を個人的な夢の記憶として現実につくってしまった」
「この別荘はまったく私的なものです」
現在ではテーマパークといえば多くの人が楽しめる、公共的な場所だ。当時でもこのようなテーマパークはパブリックなものとしてつくらるのが一般的であった。しかしヴィッラ・アドリアーナはまったくの私的な建築物であり、それをハドリアヌス帝は20年の歳月をかけて増築を重ねたのである。じつは現在わかっているのも全体の一部分であり、まだすべてが発掘されたわけではない。
物語を背景として、工法が巨大化を進める
磯崎はヴィッラ・アドリアーナと桂離宮とが似ていると主張する。それはどちらも物語が背景にあるという点だ。桂離宮も長い年月をかけてつくられている。その建築の初期では『源氏物語』からの引用が多くあり、後期には中国古典からの引用がちりばめられている。ヴィッラ・アドリアーナにハドリアヌス帝の記憶が心象風景としてあらわれている。
「こういう複雑なコンプレックス(建築複合体)をつくる際に、その背景に大きな物語がはめ込まれている」と磯崎は語る。
またギリシア建築との比較についても語られる。西洋建築で源流といえば、ギリシアかローマをあげるのが一般的だ。厳密にはローマ建築もギリシア建築の影響下にあるわけだが、このふたつには大きな違いがある。それは工法の違いである。ギリシアでは大理石を切って仕上ていく。いっぽうローマでは煉瓦を組み上げていく。
ギリシアでは切石の大きさが建物のスパンを決まる。建物の装飾は柱に向かい、列柱の美学となる。ローマではコンクリートで煉瓦を積み上げていくので華麗なアーチがつくれる。またそれれらのアーチやドームは自由な大きさでつくれるので巨大で構築的な建築となる。結果としてギリシアが「柱の建築」となり、ローマは「壁の建築」となる。
ローマの建築では土木的といえる巨大な建築物が多くある。ローマの建築がギリシアと違う点として、「その破格のスケール感覚」だと磯崎は語る。ヴィッラ・アドリアーナでも、ひとつひとつの建築も大きいが、ヴィッラというスケールの大きさこそが特徴的だという。これもローマ建築特有の工法によるところが大きい。
磯崎は言う、「おそらく、ローマ時代には煉瓦という単子を積み上げれば、大宇宙を構築できると思ったのでしょう」
自由な構造を可能にした工法はローマ建築に多様性を生み出した。その結果さまざまなパターンにあふれ、「これぞローマ」という建築は意外と残っていないと磯崎は語る。また五十嵐も「ローマの建築では都市にありうるビルディング・タイプをほとんど用意して、どれかを特化させることはない」と言っている。
「都市の公共的な要素は、ほとんどローマ起源といってもいい。たとえばローマの浴場というのは、温浴室、冷浴室、熱浴室、プール、ホール、体育館、競技場、図書室まであった」
「ローマが3世紀くらいの間に、ここまでのものをつくってしまっています」
このように磯崎が語るように、都市の建築物の多くがこの時代にすでにつくられている。
本書ではローマ建築が現代建築家たちに大きな影響を与えていることを指摘している。ローマ建築がいかに進んでいたかを物語っている。