コルビュジエのデザインにみる、自由と規律
ル・コルビュジエのガルシュのシュタイン邸とアンドレア・パラディオのヴィラ・マルコンテンタのふたつの平面図が載ったページがある。
コルビュジエの設計は1920年代のものであり、パラディオのほうはそれより400年近く前の1560年代の建築である。このふたつ図面はそれぞれまったく異なるものだという印象を受ける。コルビュジエの図面からは自由に描かれた室内の間取りを思わせる。一方、パラディオの図面からは几帳面に計算された画一的な室内の構成を思わせる。
しかし本書は、このふたつがともに同じ規律のもとにデザインされていることを指摘する。すなわちコルビュジエのデザインもパラディオのデザインも、その要素の区切り目に注目すると、横に「2:1:2:1:2」という規則性が見えてくるのだ。
コルビュジエのデザインが自由に描かれているように見えるのは、直線による区切りが目立たないからだ。しかしその内部を走る曲線の起点と終点、階段の位置を丁寧に観察していくと、緻密な計算によって描かれていることが見えてくる。
コルビュジエは言うまでもなく近代建築を代表する建築家だ。彼はそれまでの古典主義建築に対抗するように、機械や工業を取り込んだ近代建築を打ち立てた。しかし実は歴史上の建築からも多くを学び、建築的遺産を継承しながらも、新しく自由なデザインと機能を実現したのだ。
マニエリスムとは
マニエリスムとは美術史では、ルネサンスの後からバロックの前までの時代を指す。特徴としてはルネサンス期の芸術の「技巧(マニエラ)」を受け継ぎながらも非合理的な作風という点がある。このマニエリスムについて言及されるようになったのは20世紀になってから、すなわち近代主義以降であるという点にロウは注目し、マニエリスムと近代建築との関連を本書で探っている。
アンドレア・パラディオはマニエリスムの建築家である。マニエリスムにはルネサンスの規範を意図的に転倒しようする、すなわち「完璧さを崩したい」という願望を含んでいたとロウはいう。近代建築はそれまであった建築からの連続よりも、断絶あるいは拒絶としてとらえられることが多い。これはマニエリスムのもつ転倒とも相似する。
本書ではマニエリスムと近代建築との関連を指摘するが、それは既存の建築に対する姿勢だけでなく、デザインにおける「空間」概念においても類似性が存在する。
マニエリスムという、ルネサンスとバロックに挟まれた古典主義的な作風と、近代主義建築との関連は、それまであった「近代主義建築=歴史主義への拒絶」という側面ではなく、歴史の流れにおいての連続を示唆しているといえる。
近代建築における「空間」の重要性
近代建築を題材にしている以上、「空間」についての考察は避けては通れない。それまでの建築がファサード(正面)の視覚的造形、柱の本数、柱頭の様式など、外見的な美に重点を置いていたとするならば、近代建築は建物内部の空間、及び敷地全体を「空間」ととらえたうえでの外形のデザインをどのようなものにするかという点に重きを置いたといえる。
近代建築を代表する建築家であるフランク・ロイド・ライトもまた空間のデザインに注力した。当時、アメリカでは鉄骨やコンクリートによる骨組み構造の手法、とくにシカゴ・フレームと呼ばれる建築手法が取り入れられていた。
しかしライトはシカゴ・フレームを嫌っていた。それはフレーム構造が、「空間」のデザインとは無関係のものであり、単に効率のみを追求した実用主義的なものに過ぎなかったからだ。ライトはなにより水平方向へと広がる空間を認識にいれたデザインにその才能を発揮した。
コルビュジエにおける「空間」認識
コルビュジエの代表作、ラ・トゥーレットについても詳細な考察をおこなう。この建築では正面にほとんどなにもない壁があるだけの「正面らしくない正面」という特徴がある。ロウは、このとき観察者が建物の周囲をまわって、横から見ようとしたときのようすを想定する。観察者が複数の視点ということが三次元の空間を認識するうえで重要になる。
近代建築の「空間」認識については、キュビズムという「三次元のモチーフを二次元の絵画に抽象化して描く」ことの影響の大きさが指摘される。しかしコルビュジエが真に優れていたのは、キュビズム的に三次元の空間イメージを二次元の図面に変換する点にあるのではなく、三次元の状態でデザインできた点にある。コルビュジエの草案過程のドローイングでは、空中から眺めたさまが立体的に描かれている。
古典主義的な建築家が残した美しいファサードとは対照的にラ・トゥーレットには無骨な壁があるだけだ。しかしその内部の空間の豊かさに近代建築らしさがある。