ニーマイヤー104歳の最終講義
オスカー・ニーマイヤーは1907年生まれのブラジルを代表する建築家だ。ブラジルの首都ブラジリアの設計者として知られるフランス人建築家ルシオ・コスタの元で建築を学ぶ。ニーマイヤーは1952年にル・コルビュジエと組んでニューヨークの国連本部ビルの設計をおこなっている。
1964年のクーデターで、軍がブラジルの政権を握ると、多くの知識人、芸術家、政治家が政府のブラックリストに載り、ニーマイヤーもブラジルを離れることを余儀なくされる。1967年からフランスに亡命に近い形で住んだ。ニーマイヤーは左翼的な政治志向を持ち、本書でも政治に言及している。1991年、空飛ぶ円盤のようなかたちをしたニテロイの現代美術館を設計している。ニーマイヤーの代表作のひとつだ。このとき84歳。
この本は、2012年1月から2月にかけてリオ・デ・ジャネイロで行われたインタービューを元に構成されている。このときニーマイヤーは104歳、この年の12月に亡くなっている。
政治について
ニーマイヤーは政治は政治家のものだけではないと考えている。
「建築家が、自らの仕事を政治的な社会活動に変換できることを意識したときに初めて、建築はその機能を果たすことができる。」
もちろん政治は建築家だけのものではない。
「私は、政治はあらゆる専門職の一部であると思っている。」
1964年、軍がブラジルの政権を掌握すると、ニーマイヤーが編集長をしていた建築誌「モーデュロ」を含む、建築に関わる一切の活動が禁止された。数ヵ月後、ニーマイヤーは軍事警察に召還され、尋問にかけられる。そこで次のようなやりとりが行われた。
「さて、ニーマイヤー。つまるところ、あなたはなにがしたいのだ」
私は、答えた。
「世の中を変えたいのです」
ニーマイヤーは、亡命中にフランス共産党に入党し、本部ビルの設計もおこなっている。
政治について、この本のなかでも語られている。とくに「持つもの」と「持たざるもの」という表現で貧富の差、格差について語っている。
「そして多くの場合、持つものになろうとするならば、搾取をしなければならない。」と語り、根本的に大きく間違っていると述べる。
建築について
ニーマイヤーは建築についてどのように考えているのか? コルビュジエと共同で設計してることから、近代的な建築観を持っていると考えられる。しかし、コルビュジエが「量産」する家屋を構想していたのに反して、ニーマイヤーは異なる考えを持つ。
「私はこんな風に考えている。建築を量産するのは建築家の仕事ではないと。それは技術者の仕事だ。なぜなら、私の観点から言えば、建築は発明であり、建築家の仕事は発明することにある。発明であるという点で、それは芸術だ。」
ニーマイヤーは建築の持つ芸術的な側面を強調する。
「建築は、バランス、プロポーション、ハーモニーという永遠の法則に基づくものである。」「良い見本となるのは、15世紀に建てられた、ヴェネツィアVeneziaのパラッツォ・ドゥカーレPalazzo Ducaleであろう。」
「建築は、簡素で美しくあってもよい。それは、アイディアの起点をどこに置くかにもよるが、簡素さと多様性は相反するものではなく、共存できるものだ。」
古典主義的な建築にも理解を示し、近代建築以降の装飾のなさ、機能優先のシンプルさ、そういった建築に疑問を呈している。
「この建築(Palazzo Ducale)の設計者が今も生きていたら、現代の建築家の純粋主義、シンプル一徹のドグマに対してなんと言うだろうか。」
美と自由について
ニーマイヤーが重要視するのは美しいこと、自由であること、創造的であることだ。
「現代的な建築を古典的な建築の隣に建てることは、個々の建築の魅力を互いに際立たせることを意味する。」「多様性は都市を豊かにする。それは型にはまった思い込みから都市を自由にするものだ。」
美しいということは、「持つもの」の特権ではない。「持たざるもの」の建築が簡素なだけでよいわけではない。ニーマイヤーは次のように語る。
「建築は、機能や使い勝手がよいというだけでは不十分なのだ。建築においては、美もまた、積極的な有用性を持つ、役に立つ要素である。美は、贅沢が許されるときにだけ付け足されるようなものではない。」
ニーマイヤーの建築には常に創造的な線がある。誰が見ても、その個性的で独特な形に目を奪われる。ニーマイヤーの芸術観はシンプルだ。
「私にとって意味があるのは発明だ。いつも、今までと違うもの、今までなかったもの、誰も作ったことがなかった風景を発明する。それが私の仕事だ。」
ニーマイヤーは104歳まで、この言葉通りの作品を多く残した。