■建築とは無縁の男(48)が世界的な都市計画家へとなった話
 

都市計画の名著、『明日の田園都市』

都市計画の関連書で、エベネザー・ハワードの『明日の田園都市』は最も有名な本のひとつだ。刊行後100年以上経過しているが、その価値はいまだに高い。この本の著者、エベネザー・ハワードについては情報があまりない。調べてみても、『明日の田園都市』執筆以前の経歴が省略されていることが多い。しかし謎に満ちた人物ということではない。執筆以前の経歴は単に重要ではないから省かれているのだ。

エベネザー・ハワード
(http://ja.wikipedia.org/)

エベネザー・ハワードは美術学校や大学で建築を学んだわけではない。都市計画に関わる仕事をしていたわけでもない。『明日の田園都市』執筆以前のハワードは建築とは無縁のいくつかの職業を転々としていた。なぜ、そのような人物が出版後100年以上も価値を持ち続ける本を書けたのだろうか?

エベネザー・ハワードは1850年、イギリスで小さな小売商を営む家に生まれた。そして高等教育を受けることもなく15歳で店員になる。その後いくつかの職を転々とし、21歳でアメリカに渡る。アメリカでは仲間とともに農業をしていた。ハワードはこのとき、生涯アメリカで暮らす決意をしたという話だが、農業には向いていないと感じたのか5年後にイギリスに帰る。

イギリスに戻ったのが1876年、ハワードが26歳のときだ。その後のハワードは自分の発明品を世に出すことと、それまでイギリスに入ってきていなかったレミントンタイプライターをアメリカから輸入することを画策する。いずれにしても金銭的に恵まれることはなかったようだ。

10代半ばで親と同じ仕事に就き、このまま終わるのは嫌だとばかりに渡米。 その後、数年で挫折して帰国。帰国後はどことなく一攫千金を狙った山師的な事業に意識が向いているように見える。この青年ハワードからはそこはかとなく意志薄弱で思慮の浅い若者像が浮かんでくる。

『明日の田園都市』の最初の出版が1898年、ハワード48歳であるが、この時点でハワードは議会の速記者という職に就いていた。

ダイアグラムNo.4
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エベネザー・ハワードを変えた一冊の本

なぜエベネザー・ハワードは 『明日の田園都市』を執筆したのか。調べていくと、『LookingBackward』という小説を読んだからだということがわかる。この小説は1888年にエドワード・ベラミーという社会主義的な思想をもつ作家が書いたユートピア小説だ。

つまり『明日の田園都市』とは建築や都市計画の専門家でもなんでもない素人中年48歳が書いた本であり、それも一冊の小説を読んで感銘をうけたことから書かれた本なのだ。これが100年以上に渡って世界中の都市計画に影響を与え、現実に本の内容に即した都市がいくつもつくられることになる。

ハワードの「三つの磁石」図
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もちろんこの夢のような話が簡単に実現したわけではない。ハワードが最初に書いた原稿は、出版社でも雑誌社でも全く相手にされなかった。そこでハワードは自費出版という、ある意味常套的な手段をとる。しかし当時のハワードは一介の速記者にすぎず、経済的に余裕があったわけではない。彼は友人から50ポンドの金を借りて、本書の元になった本を300部限定で出版する。

小説の影響で書いた自論の自費出版のために友人から借金をする、この時点でやや常軌を逸しているように思えてならない。自分の信じたもの、理想としたものを実現するために得体の知れない力を発揮する人物が歴史上にはたびたび登場するが、ハワードにも同じ匂いを感じる。

ハワードに常軌を逸した行動を取らせるきっかけとなったのは小説、E・ベラミーの『LookingBackward』を読んだからだった。この小説は1888年の出版なので、ハワードがどんなにはやく読んでいたと しても、彼は38歳になっていたはずだ。

この小説に強い感銘を受けたハワードは、イギリス版の出版のためにいろいろな方面に働きかけたという。ということは、この小説は当時イギリスでは出版されていなかったことになる。このときハワードがアメリカから帰ってきて10年以上経っている。

アメリカの小説を入手できたのはなぜだろうか。アメリカに住む友人と連絡を取りつづけていたということか。あるいは海外の小説を取り扱う書店で入手したのだろうか。いずれにしてもハワードは外国の動向にも注意をはらっていたことになる。

それでは『LookingBackward』とはどのような小説なのだろうか。この小説は当時1880年代後半のアメリカで超ベストセラー小説といっていいほど売れた本だ。出版後には似たようなユートピア小説が数多く誕生したという。

小説『LookingBackward』とは

アメリカの超ベストセラー小説『LookingBackward』は日本語にも訳されている。1903年、1904年、1950年代に三度、『かえりみれば』というタイトルで翻訳が出版された。最初は主に社会主義に関心を持つ人に読まれた。その内容とは、1880年代のボストンに生きる主人公が西暦2000年の世界に来るというものだ。

Edward Belamy [Looking Backward]
(http://www.let.rug.nl)

主人公はジュリアン・ウェストという裕福な家の男で、婚約者と近いうちに結婚することになっている。1887年5月、彼は不眠症のために二晩続けて眠れない夜が続いた。3日目の夜に催眠術者によって眠らせてもらうが、次に目を覚ますと西暦2000年の9月になっていた。

目を覚ましたところはドクター・リートという男の家だった。ドクター・リートは自宅の庭に実験室をつくろうとして、開堀作業をしたところ地下8フィートのところに長方形の地下室があらわれた。地下室のなかには男が寝ていた。それがジュリアン・ウェストであった。

そこからジュリアンとリートの会話形式による、西暦2000年の社会につい ての描写がはじまる。その世界では国家が完全に経済をコントロールしている。資本主義の発達にともない次第に大きくなった独占体がさらなる事業吸収を進めていき、最終的には国内の全資本を単一の組織に委託されるようになる。この単一の組織とはイコール国家だ。

労働に関しては、どのような労働をおこなうかは各個人が自分の生来の素質に応じて各人で決める。供給される志望者と需要を一致させるのが政府の仕事とされている。また万人が自分の最善をつくすことがあたりまえとなっている。労働の生産物の量に限らず分け前は同じである。
「同じ努力でほかの者の二倍生産することができる人間は、二倍生産したことで褒章を受けるのではなく、そうしなかったことで罰せられるのが当然」とされる世界である。

さらに通貨というものがなく、売りも買いもないので銀行もない。あらゆる金融に関する職業を廃止したことで、優秀な人材を有益な仕事につかせることが可能となっている。必要なものは国の倉庫から分配される。分配は毎年発行されるクレジットカードで欲しいモノを入手するかたちでおこなわれる。クレジットカードのポイントは割当が豊富なので消費しきれないことが多い。この世界では貯蓄や倹約は美徳ではない。国がゆりかごから墓まで、栄養と教育と快適な生計を保証する。

その他にも2000年の社会について、二人の会話や日々の暮らしの描写によ って説明がなされる。たとえば家事、医療、音楽、外国との貿易、文学、裁判、教育、経済、女性の地位、宗教と思想、など。それらはおそらく1880年代における、理想社会のひとつのあり方であったのだろうと思われる。

小説自体はドクター・リートの娘とジュリアン・ウェストの恋愛を挟みつつ進んでいくのだが、物語としては特別おもしろいものではない。また理想社会を描くことを目的としているせいか、ジュリアン・ウェストがもとの世界に戻れるかどうかといったことはあまり重要な扱いではない。

ハワードはじつはただの夢みがちな中年なのでは…

ハワードには『かえりみれば』で描かれる未来の社会が理想的な社会に思えたのかもしれない。しかしそれはあくまでも小説のなかだけのことであり、現実的にそのような社会が訪れるとは考えにくい。そのように考えるのが一般的な思考ではないだろうか。

ハワードのように、小説を読んで現実の都市をつくるという発想に結びつくのは特殊だろう。小説はあくまでも小説にすぎないという感覚が欠落している。現実と空想の境界が曖昧になっている。このあたりにハワードの狂気を感じる。

ハワードが『かえりみれば』のどこに感銘を受けたのかはわからないが、社会主義思想の方面に惹かれたというのは間違いないようだ。『明日の田園都市』のなかにもその要素は色濃く反映されている。

一般的に、社会主義が登場する要因として次のようなものが考えられる。産業革命と市場原理を掲げる資本主義によって共同体が破壊され労働者階級が生まれたこと。また階級の固定化による貧富の差の拡大、恒常的な貧困などの社会問題に対する意識によるもの。

イギリスははやくに産業革命が起こった国であり、また階級社会であることも知られている。若き日のハワードは、固定化された貧困階級に属するしかない社会から抜け出し、新天地アメリカに夢を見た。そこで挫折し帰国。国外の本を読み、社会に対する関心は薄れてはいなかったもののどうしていいかわからず速記者で糊口を凌ぐ日々。40歳を前にして当時のベストセラー小説を読み「空想都市の妄想」をはじめる。

社会階級の風刺画
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もう若くはなく、しかし自分の生涯をかけられるような仕事がいまだ見つけられずにいる、夢みがちな中年。ハワードがこのまま終わればどこにでもいる寂れた中年男でしかなかった。

ハワードが動いた!

ハワードは「空想都市の妄想」を現実のものとするべく動きはじめる。まずはすでに書いたとおり1898年に本書の元となる本を書き、友人から金を借りて自費出版する。この本は4年後の1902年にはタイトルを変えて『明日の田園都市』として出版されている。どうやらこの4年の間に評判となったようだ。

最初に出版した1898年、ハワードは48歳になっている。E・ベラミーの小説を読んだのが38歳以降ということは、つまり本書の執筆に最大で10年近い年月を費やした。速記者をやりながらの執念の執筆である。

驚くべきことにハワードは自身の本を出版した翌年の1899年に「田園都市協会」という組織を創設している。自費出版の費用も友人から借りるような男が、である。これは実際に田園都市をつくるための組織だ。ここにはその後、啓蒙的な企業家が参加し、「田園都市開発株式会社」となる 。

そして最初の組織創設から4年後の1903年にはレッチワースに土地購入権を獲得し、田園都市の建設がはじまる。数年前まで速記者に過ぎなかった中年男が、夢と理想をもって都市計画に乗り出し、わずか5年後には実際の田園都市をつくりはじめたのだ。この計画は一時的な勢いにまかせたものではなく、その後1920年にはウェルウィンという次なる田園都市も建設をはじめる。

現在のレッチワース
(https://www.letchworth.com)

その後もイギリスでは20を越える田園都市がつくられることになる。明治期には『明日の田園都市』が日本にも入ってきており、当時の政府の開発事業にも大きな影響をあたえた。

「田園都市」の開発は、なによりもハワード本人が動きはじめたことが大きかった。それこそが実現へと至る最初の一歩となったのだ。およそ10年に渡って詳細にすみずみまで妄想し、借金しながらも出版、直後に組織を創設して実行に移す、この粘着質かつ無鉄砲な行動力はどこからくるのか。

ハワードの本気

ハワードの行動力とは、結局のところ、あとのない状態がもたらした馬鹿力のようなものではなかったか。もちろん社会主義思想のもつ平等の理念に基づいた理想主義者という見方は可能だ。しかし、それよりも発明や輸入に凝ったりする一面から、あるいはアメリカに渡りながらも数年で帰国する一面から見えてくるハワードという男は、どことなく 「俗っぽい凡人」という気がしてしまう。

「俗っぽい凡人」というのは「普通の人と同じダメな人」ということだ。意思が弱く努力や根性が嫌いで苦難に弱い、そのくせ人並みに欲深い。運もなかったかもしれないが、学がなく、渡米と帰国、発明や輸入、40歳ま でのハワードはダメな男の典型に見える。

仮にハワードが高い教育を受けていたならば、ユートピア小説の内容を鵜呑みにするようなことはなかったかもしれない。ハワードがレミントンタイプライターの輸入業で財をなしていたら、『明日の田園都市』を書くことはなかったかもしれない。ハワードが都市計画の「専門家」であったならば、『明日の田園都市』につづく著作を何冊か書き、実際に田園都市を実現しようとはしなかったかもしれな い。ハワードが社会主義「思想家」であったならば、自ら都市をつくることをしな かったかもしれない。

ハワードが『明日の田園都市』を書き、すぐさまそれの実現に動いたのは、そうするしかなかったからではないか。彼は都市計画の専門家でもなく社会主義思想の著述家でもない。率直に言ってしまえば「金儲けの下手な学のない男」だ。エベネザー・ハワードが信じ難いのは、「理想的な社会をつくる」というその気力のみで社会を変えてしまったことだ。

明日の田園都市
Garden Cities of To-morrow
(https://ja.wikipedia.org)