◆オットー・ヴァーグナー 『近代建築』

古典主義から近代主義への変化を体現した建築家

現在から過去へと建築の歴史をさかのぼったとき、近代建築前後で大きく流れが変化したといえる。それ以前の歴史にある建築は現在の建築と大きく異なっている。近代の前後には大きな断絶が存在している。
本書の著者であるオットー・ヴァーグナーは、近代建築の源流にいる建築家のひとりとして数えることができる。
ヴァーグナーは1841年にウィーンで生まれた。ベルリンで古典主義的な建築を学んで建築家となり、その生涯のほとんどをウィーンで過ごした。

Postal Sav-ings Bank
(https://en.wikipedia.org)

彼の初期の建築作品には古典主義的な要素が多数、見られる。おそらくそれらを見て、「近代建築」と結びつける人はほとんどいないだろう。しかし後期の作品には近代主義的な萌芽が見られる。ヴァーグナーとは、まさにその作品の経歴のなかで古典主義から近代建築の誕生までを体現した建築家であるということが言える。

ウィーン分離派という運動

ヴァーグナーが活動していた当時、19世後半から20世紀のはじめにかけてのウィーンにはアール・ヌーボーから影響を受けたウィーン分離派と呼ばれる芸術運動があった。
ウィーン分離派は画家のグスタフ・クリムトが中心となってはじまったもので、これは古典主義からの脱却を目指した運動である。しかし、同じ古典主義への対向としてあった近代主義とは進む方向が異なるものだった。クリムトから数年遅れてヴァーグナーもこの運動に参加する。

この時期につくられたヴァーグナーの代表的な建築作品のひとつに、カールスプラッツ駅がある。この作品は植物を模した装飾や幾何学的な形態が特徴といえるもので、まさにウィーン分離派の代表的な建築物だ。ここでは近代主義的な合理性よりも、絵画や彫刻などとの親和性が見られる。

Karlsplatz Stadtbahn Station
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分離派からの分離

1905年、ヴァーグナーはウィーン分離派から脱退をする。翌年にはヴァーグナーの後期を代表する郵便貯金局が完成している。

 

Postal Sav-ings Bankの内部
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この作品には近代主義的な合理性が見られる。光が差し込むガラスの天井なども近代主義的ではある。それでもこの作品には屋根に女性像の彫刻が装飾として載せられており、その後の近代建築作品とはやや一線を画すものがある。そのような点から見てみても、彼の活動した時代にはいまだ近代建築はその本来の姿を見せてはいなかったと言える。

本書においても建築と彫刻との関係について書かれている。そこでは建築家が彫刻をどの位置に設置するかというような点を制御する必要があると書かれている。近代建築以降、彫刻が建築に使用されることはほぼ皆無となっていることを考えると、前近代的な記述である。
建築家としてみた場合、オットー・ヴァーグナーは近代建築家とは言いきれないかもしれない。それでも、彼の思想には近代主義的な特色が見て取れる。

近代主義的な思想と、前近代的な建築

本書が書かれたのは1895年のことである。その前年からヴァーグナーはウィーン・アカデミーの教授の職に就いている。本書はそのタイトルが示すとおり近代主義的な建築の思想について書かれている。
しかし、これが書かれた当時のヴァーグナーはウィーン分離派に参加する前であり、前述したカールスプラッツ駅もつくられてはいない。
本書で近代建築的な著述をしながら、実際につくる作品は近代建築とはかけ離れたものであった。 なぜそのような齟齬が生じるのだろうか。それについては本書の内容に手がかりがある。
 

Wagner Villa
(https://eng.archinform.net)

建築とはなにか

本書ではまず『建築家』という章で建築のあり方について書かれる。とくに絵画や彫刻と異なる点について繰り返し書かれている。それは絵画や彫刻が自然を手本にしているのに対し、建築はそうではないということである。

オットー・ヴァーグナー
(https://ja.wikipedia.org)

ヴァーグナーは 「建築だけが、人間に美しく見える形を、自然の中に手本を見出すことなく作ることができる。」と述べる。また「建築においては、神の能力に達する人間の能力の最高の表現が見られるに違いない。」ともいう。さらに建築家とはどのようなものかについても書かれる。

建築家は他の芸術家、画家や彫刻家と比較しても、裕福になることはない。建築家に重要なのは才能と学習である。他の芸術と比較すると学習することが多く、才能だけでなれるものではない。また学習だけでもよい建築家にはなれない。建築家を育成する教育者は建築家を目指す若者の適性を見極める必要がある。そうしないと長期間にわたる学習をしたにもかかわらず建築家になれず、若者の人生が破綻してしまうことになる。適性を見極めるにはある一定期間、実際にアトリエに入ることが望ましいという。

ここで書かれてるのは、建築家として生きていく上での覚悟についてである。設計や意匠についての具体的な教えではない、あるべき姿勢と向かうべき目標について書かれている。

建築の様式とはなにか

つづいて『様式』という章では、建築の様式について書かれる。
建築には様式がある。たとえば中世の絵画のなかには中世の服装に身を包んだ人物が描かれ、中世の風景が描かれる。そこに、鑑賞者が違和感を覚えることがないのは同じ時代の様式のなかにいるからである。
もしも現在の街中に中世の服装に身を包んだ人物がいたら、違和感をもたらすだろう。または中世の風景、建物、自然のなかに現在の服装の人物を描いても違和感を生じさせるだろう。建築も同様である。公共建築はゴシックやバロックの様式で建てられることが多いが、現在の建物にそのような過去の様式を用いるのは違和感が生じるおそれがある。

シュタインホーフ教会堂
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ヴァーグナーはいう、「たとえば教会堂建築は、今日も数百年前と同じであるという認識は大きな間違いを引き起こした」と。つまり国会議事堂はギリシア様式で、教会はゴシック様式で、といったことを望むことは誤った見解であるということだ。なぜなら、これらの建物に出入りする人びとはすべて同じ近代人に他ならないからである。「近代の見解が生み出したものは、われわれの外見と完全に調和するが、古い手本を写したものや模倣したものとは決して調和しない」と述べる。

ヴァーグナーが繰り返し語ることのなかでもっとも重要なことは、時代とともに建築も変化していかなければならないということだ。これは古典主義のもつ伝統を重んじる保守的な思想とは真っ向から対立する姿勢である。

芸術は必要にのみ従う

ヴァーグナーの、変化を恐れずに現在のありかたにあわせるという考え方は、彼の代名詞ともいえる「芸術は必要にのみ従う」という言葉のなかにも見ることができる。
この言葉のもつ意味こそが近代主義的であるといえる。必要というものはその時代によって異なり、それに合わせて変化する必要がある。だからこそ、その時代が要請したものであるならば、「植物を模した装飾」も取り入れるし、「ガラス天井からの明るい採光」も取り入れる。

マジョリカハウス
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「近代」というのは、固定的なあり方ではなく、変化をしながら現在と調和したものをつくることである。
ヴァーグナーは、古典主義のもつ伝統を重んじる姿勢を次のように批判的に語る。
「建築家は、豊かな伝承の宝庫に入ることはできるが、そこで選んだものを模倣するということでは話にならない。そうではなく、伝承されたものを新しい造形によってわれわれと目的とに適合させるか、あるいは、既存の手本の効果から自分の意図する効果を見つけ出すのでなければならない」

近代主義では近代建築を「先取り」できない

本書で近代建築を語りながらも、ヴァーグナー自身が近代建築とは言えない作品を残したのは、彼の生きた時代がいまだ近代建築を望んでいなかったからだといえる。
「実際的でないものは美しくなりえない」と語るヴァーグナーは、単純に装飾を否定したりはしない。なぜなら「現在」がそれを望む時代だとしたならば、装飾を否定することがすなわち美しさとイコールではないからである。装飾を廃することが「実際的」なのではない、必要とされない装飾を廃することこそが「実際的」なのである。

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    4月 25, 2019 — 19:48