◆レム・コールハース 『プロジェクト・ジャパン メタボリズムは語る… 』
 


メタボリズムと丹下健三

本書は基本的にはメタボリズムの解説書という体裁をとっている。しかし、著者のレム・コールハース曰く、「丹下健三の本」でもあるという。

丹下健三 (https://ja.wikipedia.org)

丹下健三
(https://ja.wikipedia.org)

メタボリズムとは1960年代に日本でおこった建築の運動で、丹下健三の弟子たちと、周辺の評論家やデザイナー、官僚なども巻き込んだものだった。これは建築においてはじめて日本から世界に向けて発信された運動でもあった。この運動に参加した人物、逆に近いところにいながら参加しなかった人物、周辺の関係者らへのインタビューと、当時の写真や出版物からの転載を中心に本書は構成されている。

基本的にページの左側に当時の建築写真や週刊誌からの転載がキャプション付きで掲載されており、右側には2005年以降に本書のためにおこなわれたインタビューが掲載されている。
インタビューの聞き手はレム・コールハースとハンス・ウルリッヒ・オブリスト。オブリストは美術評論家でキュレーターでもあり、各種インタビューの経験が豊富な人物でもある。

週刊誌的なおもしろさ

本書はまず各ページの左側にある、当時の状況をあらわす写真や雑誌からの転載だけで十分おもしろい。マリリン・モンローのプロポーションのラインからつくった雲形定規を使っている磯崎新の記事や、1960年代の黒川紀章のファッションをとりあげた記事など、俗っぽいおもしろさがある。
60年代当時、黒川紀章は三島由紀夫と並ぶ、スター文化人だった。夫人は女優の若尾文子で、黒川の方が彼女のファンだったという。

「丹下健三の本」というのは、このメタボリズムという運動が、東京大学の丹下研究室の出身者が多く参加していたからだ。まず本書では丹下の周辺への取材からはじまる。関東大震災で東京の大部分が壊滅的な状態になったときに、大規模な開発計画があった。丹下はこのタイミングでインフラを整備することを考えた。同じく、第二次世界大戦で東京が焼け野原になったときにも同様のことを考えた。しかし、いずれもかなわなった。

丹下は広島の原爆記念館の仕事をしている。当初、友人のイサムノグチがやるはずの仕事だったが、”日本人ではない”という理由でノグチが断られた仕事だった。丹下のなかにそれを引き受けるのに複雑な心境があったことも本書でわかる。

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また丹下と岡本太郎との友情についても書かれている。1960年代の岡本太郎の仕事といえば、大阪万博の太陽の塔に代表される。あの塔が突き破った天井は、丹下が設計したものだった。

メタボリズム=新陳代謝

メタボリズムという運動を建築物でイメージするならば、小さなカプセルのようなもの、これが建築物の要素のひとつとなるわけだが、これが増殖していくさまをイメージすると、ひとまずは近いものになると思う。必要に応じてこのカプセルをユニットとして追加していくことで増殖が可能になる。
この運動の大きな特徴のひとつとして、政府、官僚のバックアップがあったことがあげられる。つまり、単なる建築デザインの潮流としてだけではなく、積極的な公共事業との関連のもとに実際の建築物が建てられていったのである。

メタボリズムの代表的な作品 黒川紀章 中銀カプセルタワービル (http://ja.wikipedia.org/より)

メタボリズムの代表的な作品
黒川紀章 中銀カプセルタワービル
(http://ja.wikipedia.org/より)

それを可能にしたのには、下河辺淳という人物の存在が大きい。下河辺は国土庁の事務次官の地位にまでなった官僚であり、おおくの開発事業に関与していた。そしてこの下河辺はやはり丹下の研究室の出身なのである。丹下研究室にはその後、日本の建築を牽引していく優秀な人材が集まっていた。その優秀な建築家たちが下河辺という官僚を通じて国土開発とつながったことでメタボリズムが大きな運動になることが可能となった。
それらの結び付きの元を辿れば、中心にいたのは丹下健三だった。レムがメタボリズムの本である本書を「丹下健三の本」と言うのはここに由来している。

インタビューアーとしてのレム・コールハース

本書の魅力のひとつにインタビューの聞き手であるレム・コールハースが非常に鋭い質問を繰り返しおこなっている点がある。インタビューを受けるのは、磯崎新、丹下健三の家族、菊竹清訓、槇文彦、黒川紀章、『新建築』編集長の川添登、官僚の下河辺淳などだ。
レムの質問内容を見ると、日本のメタボリズムについて、また日本の建築について非常に詳細に調査、理解したうえでインタビューをおこなっていることがわかる。
メタボリズムは1960年代のことである。当時は第二次世界大戦の終戦から15年ほどしか経過していない。レムがアメリカ人ではなく、オランダ人であることがデリケートな話を聞き出すことに成功しているとも言えるかもしれない。レムはインタビューのなかでメタボリズム以外のことも多く質問している。

磯崎、菊竹、槇、黒川などの建築家に対しては設計事務所のスタッフの人数、これまででもっともスタッフが多かったときの人数、構想した設計案と実現した設計案、実現しなかった案の数と比率などを聞いている。
また関係者間の当時の人間関係などについてもそれぞれに質問している。さらに丹下健三の人間性やエピソードについても興味をもって質問している。
それらはメタボリズムという建築運動についてのインタビューというだけではなく、先輩建築家へ対する関心からくる質問とも読み取れる。基本的にレムのインタビューには、尊敬する建築家との会話を愉しんでいるような雰囲気すら感じられる。

レム・コールハース

レム・コールハース

磯崎、黒川のインタビュー

メタボリズムの運動自体は、磯崎の『建築の解体』によって終止符が打たれたと言ってもよい。磯崎は丹下研究室に所属し、メタボリズムの建築家たちとも近い位置にいたが、この運動には参加しなかった。磯崎は自身の著書で当時のヨーロッパでおきていた建築について紹介している。つまり、メタボリズム以外の運動が世界で起こっていることを知らしめたのである。磯崎は「情報をもって死なせる」と語り、メタボリズムの息の根をとめた。

磯崎自身のインタビューも本書には収録されている。そのインタビューのなかで、自身がメタボリズムに参加しなかった理由として、彼らの「考えが楽観的すぎるから」と語っている。さらにメタボリズムについて、「興味の範囲が狭い」「日本政府や有力な勢力に自分たちのアイデアを売り込んで仕事を取ろうという目論みにも引っかかった」とも語っている。
とはいえ、その活動すべてに批判的というわけではない。彼は「メタボリストのマニフェストが近代建築の最後のマニフェストとなった」と言い、これについてはレムも同意する。

黒川紀章 (http://www.kisho.co.jp)

黒川紀章
(http://www.kisho.co.jp)

磯崎の終生のライバルと言われた黒川紀章はメタボリズムのメンバーのなかでもっとも若い年齢だった。また写真映えがよく、週刊誌やTVなどにも積極的に登場した”メディア型の建築家”だった。彼は建築家の地位の向上やパブリックイメージの変化に大きな影響をもたらした。その華やかなイメージの陰で、彼がおこなった仕事自体は一般的にはあまり知られていないかもしれない。
レムはそこにも興味を持ち、当時の状況やおもてにあらわれなかった黒川の仕事についても本人から細かく聞き出している。

下河辺淳の登場

本書のなかで、もっとも興味深いインタビューは最後に収録されている下河辺淳のものだろう。下河辺は前述したとおり、官僚としてメタボリズムの黒幕ともいえるポジションにいた。インタビューで下河辺は、もともとは官僚になるつもりはなかったと語る。丹下の研究室で建築を学んでいた時、『あとで断ってもいいから受けるだけ受けて欲しい』という先輩の頼みを聞いて試験を受けたという。結局、断ることも途中で辞めることもなく官僚を続け、要職を歴任した。

彼の最初の仕事は敗戦後の復興だった。そのなかで丹下を国際的な建築家へと担ぎ上げていく。それは丹下の個人的な名声を高めるというよりも、建築家という職業の社会的地位を上げようとするものでもあった。
「建築屋の社会的な権威をつくりたいというのがわれわれ役人の側の動機だった」
「丹下が国際的な建築設計屋といわれるように政府の側で丹下を担ぐことになりました」と彼は語る。
丹下を勝たせるために国際的なコンペで審査委員に金を渡したことなども赤裸々に語る。

このインタビューでは下河辺はかなり率直な発言をしており、アメリカに対しても正直な意見を述べてる。彼は原爆投下直後の広島に、空襲の調査でいちはやく行っている。そのときはまだ落とされたのが原爆であるという確証はされていなかった。
しかし、「多少原爆の研究もしていたので、原爆に違いないと思った」と言う。また下河辺は次のようにも言う、「原爆を落としたというこの一点で、トルーマン大統領が率いていたアメリカを許すことがいまだにできないんです」と。また、原爆を落とすのはテロだ、とも述べる。「国家が原爆を落としたということを、私は信じたくない」と。

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下河辺のこのような発言に対し、レムは感動を隠し切れない。「あなたのような方とお会いできて本当に光栄です。ストレートな発言、正直なお話に心を打たれました。」とレムは述べる。

レム・コールハースが日本建築にもたらしたもの

下河辺のインタビューを本書の最後に収録したのには意味がある。本書はメタボリズムについての解説本である。メタボリズムは一般的には黒川や菊川がプレイヤーとして登場するものだと考えられている。本書を読みはじめると、そのメタボリズムの背景には丹下健三の存在があったことに気づかされる。
丹下は日本の近代建築を牽引した巨匠である。みずからはメタボリズムのなかにはいなかったが、彼の教え子たちの集まりがメタボリズムという運動をはじめた。しかしこれらの事柄の背後で動いていた人物こそ、下河辺淳だったということが、本書の最後のインタビューで判明する。

巨匠の丹下のもとにメタボリズムがあったが、まずその丹下を巨匠に担ぎ上げる第一幕があり、その後にメタボリズムの第二幕があったことがわかる。そしてそれらは下河辺を含む当時の政府が望んだものであった。

黒川と菊竹は本書のインタビュー後に他界している。レム・コールハースのこの仕事が数年遅ければ、メタボリズムについてここまで詳細な記録は残せなかったかもしれない。また下河辺から話を聞きだした功績も大きい。
戦後の日本の建築史を考える上でも、本書のためにおこなわれたレム・コールハースのインタビューは重要な意味をもつ。

【関連】
レム・コールハース 『錯乱のニューヨーク』
磯崎新 『建築の解体-一九六八年の建築情況』


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