歴史の扱い方
これは建築の歴史に関する本だ。といっても20世紀の「建築の歴史」が書かれているのではなく、20世紀の歴史家たちが建築をどのように見てきたかが書かれている。本書を理解するには、まず20世紀の建築そのものの理解が必要になる。またこれらの建築がどのような源流を持つのか、つまりモダニズムの建築家たちがどのような流れのなかで生まれてきたかについても知っている必要がある。
登場する歴史家はエミール・カウフマン、コーリン・ロウ、レイナー・バンハム、マンフレッド・タフーリの4人だ。それぞれ章を分けて書かれている。
モダニズム以前、建築は「様式の歴史」だったが、モダニズム以降は様式が意味を持たなくなり、代わりに空間の歴史となると本書は述べている。序文には次のようにある。
「ルネサンスに関する初期の世代の建築史家の強い関心を得て、モダニズムの最初の歴史が、バロックおよびその近代の時期への延長という新しい領域を研究していた、リーグルやヴェルフリンに続く歴史家たちによって書かれたことは偶然ではない」
「リーグル」とはアロイス・リーグルのことで、ウィーン学派と呼ばれる美術史学派の創始者である。リーグルは美術史において時代や地域による装飾の特徴をまとめ、様式論の基礎を築いた。それをさらに進めたのが「ヴェルフリン」、ハインリヒ・ヴェルフリンで、彼はルネサンス様式とバロック様式を対比的に扱い、今日まで続く様式観を確立した。
この「リーグルやヴェルフリンに続く歴史家たち」とはジークフリート・ギーディオン、ニコラウス・ペヴスナー、そしてエミール・カウフマンのことだ。
ギーディオンはミュンヘン大学でヴェルフリンに学んだ。ペヴズナーも同時期にミュンヘン大学で美術史を学んでいる。つまり、美術史における様式論の確立の影響の下に、ギーディオンらの第一世代とも言える歴史家たちが近代建築について語り始めたのである。ちなみにギーディオン、ペヴスナーの下に学んだのがバンハムだ。
エミール・カウフマン
エミール・カウフマンは『ルドゥーからル・コルビュジエまで』を1933年に出版する。ルドゥとは、クロード・ニコラ・ルドゥーのことで、フランス革命前には王室建築家であった。ルドゥは革命によって投獄されたが、多数の建築計画やスケッチを残した。これらの計画案では球体を大胆につかった作品があり、その個性的な作風は未来的でもある。
カウフマンのこの本はナチスが勢いを強めていた時期において、「自由で、社会的で、民主主義的な理想を再度宣言する」ような内容であった。そのためこの本は批判的に扱われることになる。
本書でも、「ナチスのイデオローグだけでなく、ゼードルマイヤーといった保守的な美術史家からも批判される」とある。「ゼードルマイヤー」とは、ハンス・ゼードルマイヤーのことで、カウフマンと同時期の美術史家であり、『中心の喪失』がその主著だ。
ゼードルマイヤーの「中心」とは端的に神のことだと言える。フランス革命によって帝政が倒され、同時に人権や宗教の自由も約束された。学校教育から教会が排除され、迷信や非科学的な慣習が廃れていく。こうして近代社会へと進んでいくのだが、それは同時に無神論的な社会でもある。そのような近代社会を象徴するものとして、ゼードルマイヤーはルドゥを扱う。球体は地盤からの遊離を意味し、神のいない時代を不安定で不吉なものとしてとらえている。
本書ではゼードルマイヤーについて、「カウフマンが進歩と正義を見出した素材から退廃と衰退といった絶望的とも言えるテーマをとり出した。」と書いている。
しかし、じつのところ本書の結末では、まさにこのゼードルマイヤーが示したものと近いことを述べている。ただしゼードルマイヤーが終着とした地点が本書では未来へ向かう起点として語られている。
コーリン・ロウとレイナー・バンハム
コーリン・ロウは建築の形態について注目し、レイナー・バンハムは技術の進歩に建築の未来を見ていた。
「ロウのモダン・マニエリスムは、新しいモダンからポストモダンへ議論を少しずつ移行させる、多様な形態および記号論的経験への扉を開いた」
ロウはルドルフ・ウィットコウアーの下で建築を学んだ。ロウは、パラーディオとコルビュジエを結びつけたことで、つまり古典主義とモダニズムの関連を指摘したことで有名だ。パラーディオの研究をしていたのがウィットコウアーだった。ウィットコウアーはパラーディオの作品の室内構成を比例的に考察した。本書ではロウについて以下のように書かれている。
「ウィットコウアーによるパラーディオについての見解から、ロウは基礎的な概念-「理想的ヴィラ」-と形態の原理-「幾何学」-を導き出し、それらをパラーディオのヴィラとモダニスト、ル・コルビュジエによる応答との比較に結びつけた。」
「同世代のレイナー・バンハムによる、技術と進歩を志向する構想とは根本から対極的に、ロウによるモダニズムの解釈は内省的であり、形式に関する前例を歴史のなかに求めていた。」
ロウの視線は元々古典主義、とくに16世紀イタリア建築へ向けられており、それがバンハムとは決定的に異なる点だ。ロウの教え子には、ジェームズ・スターリング、ジョン・ヘイダック、ピーター・アイゼンマンなどニューヨークを中心にポストモダン的な建築家たちが多数いる。
バンハムの未来志向は同時代の建築運動を支持するものとなり、それは同時に新しい技術を積極的に運用していく姿勢を支持することになる。バンハムはブルータリズム、メタボリズム、新未来派、アーキグラム、センドリック・プライスらを支持し、さらに技術の進歩に重点を置く姿勢は、『環境としての建築』に繋がっていく。ここでは既に様式でも形態でも構造でもなく、重要なのは設備となっている。
マンフレッド・タフーリ
マンフレッド・タフーリは歴史の扱いについて最も注意深い歴史家だと言える。批判の矛先はギーディオンやバンハムにも向けられる。
「彼の批評はギーディオン、ゼヴィ、バンハムといった歴史家にまさに向けられ、彼らは歴史を建築に意味を与えるための道具のようなものだと見なし、「後期の古代建築のなかにカーンもしくはライトの根拠を見出し、表現主義や現在のマニエリスムのなかに、前歴史的残留物のなかに、有機主義もしくはいくつかの『形態ではない』実験の根拠を見出していたのである。」」
「ゼヴィ」とはブルーノ・ゼヴィのことで、『近代建築の歴史』などで知られるイタリアの建築史家だ。タフーリによれば、ルイス・カーンやフランク・ロイド・ライトの当時の建築作品と古代建築を結びつけることは、歴史を都合よく「利用」していることになる。
歴史のあとで
最終章は「ポストモダンもしくはポストヒストリー?」と題されている。ここではモダニズムとポストモダニズムにおける歴史の扱いについて述べられている。
モダニズムは歴史を拒絶したが、その後に迎えた結末は「失敗したユートピア」だと本書では書かれている。モダニズムは抽象性に賛同し、技術に執着した。しかしその後、ポストモダニズムに取って代わられることになる。
「ポストモダニズムの神話において、抽象性に対抗するものとして歴史はその復帰を歓迎された。」
ポストモダニズム以降、大きな建築運動はなく、建築の歴史は停滞してしまったようにも見える。これはゼードルマイヤーが見ていた、退廃、衰退のようでもある。
「人間の創造が、これ以上の発展の可能性がなく、できることといえば終わりの完成のみ」
歴史の終わったあとでわれわれに何ができるのだろうか。本書の末尾にはいまいちどモダニズムについて、その歴史の扱いかたを見直すべきだとある。
モダニズム建築のありかたについて、われわれは近代性の聖域を真剣にあらためて査定する必要があると説く。
本書に出てくる歴史家たちの試みは、それ自体がモダニズム的な歴史の扱い方であると見なす必要があり、「われわれ自身が持つ歴史的意識に対する先入観への挑戦として使われるべきなのである」と述べている。
そしてまさに本書で書かれていることそのものが、歴史的意識の挑戦の最初の一歩となっている。