建築と政治
ドイツを代表する建築史家、建築評論家の評論集。7本の再録論文と5本の講演原稿で構成されている。タイトルにある「権力」とは政治のことであり、つまり建築と政治との関係について書かれている。またもうひとつの「記憶」とはドイツにおける政治的な記憶であるナチスのことを指していると言っていいだろう。
12本の評論のうち、最初3本は建築と政治について、次の6本がナチズム、イタリア・ファシズムと建築について、最後の3本はナチズムの遺産への取り組みがテーマとなっている。
建築と政治について語る著者の言葉には、自身がドイツ人であり、そのドイツが過去におこなったことに対する痛々しいほどの自省の念がある。モダニズム以降、あたかも建築が政治や歴史と無関係に存在しようとする姿勢を著者は批判している。
機能性の重視
近代建築の理念のひとつに「機能性の重視」がある。機能にとって重要なのは「目的を最善に満たす」ことだ。目的を満たすための建築が近代以降つくられるた。
ドイツにおける近代建築の代名詞とも言えるのがバウハウスだ。機能に対する重要性と芸術との関係について著者は、「バウハウスが目的合理的に生産された工業製品を芸術的に洗練させるという工作連盟の理念を引き継いだ」と書いている。
しかし1920年代の建築について著者の評価は厳しい。
「一九二〇年代には絶えることなく、目的と機能、機能主義と構成主義について語られ、また書かれた。しかし生産されるものは相も変わらず、幾何学あるいは立方体の基本形態を変形させたものであった。」
幾何学の形態を合理的に組み合わせただけの建築に対する批判は、別のありかたを指摘した一人の建築評論家へとつながる。それはカレル・タイゲだ。
合理性と直感
機能を重視する建築が主流となっていくなかで、著者は次のように書いている。
「しかしながらタイゲは、最高の機能性と最高の美しさの間に一致点を見いだすという、このコンセプトが抱えるもうひとつの問題点に気づいていた。「もしも実用性について同等に完璧だと判断できるような、同じ目的をもつ二つの機械が並んであったとして」、どうやったらそのうちの一つが美しく、もうひとつが醜いということになりうるのか?」
機能だけでは美についての価値判断ができない。そこでタイゲは「数学的な直観」という非合理性によって発見されるものが建築に必要だと説く。
「直観なしの建築は退屈な建築経済にすぎない」
この「建築経済」とは何か。
建築の合理化は「とりわけ銀行や施主に利益を与えるものとなった」と著者は書く。つまり無駄のない効率的な建築が、経済的にも利益をもたらすものとして受け入れられていく。このような建築をタイゲは「退屈」だと批判するが、市場では美よりも経済が優先される。
こうして近代建築は二つの「大きな翼と左よりの小さな翼」へと分裂していく。「大きな翼」とは建築市場を基準とした合理的で無駄のない建築のことだ。もうひとつの「左よりの小さな翼」とは経済的なもののみで成立する建築を疑問視したグループによるものだ。つまり非政治的な大きな翼と、政治的な小さな翼に分裂していった。
政治的な建築の衰退
この二つの分裂のうち、どちらが生き残ったかはすでに明白であろう。
「タイゲ、マイヤーおよびその他数人の社会にかかわりをもとうとする建築家たちが、この政治的に動機づけられた要求を掲げてCIAM(近代建築国際会議)へくい込もうとしたとき、彼らはル・コルビュジエ、グロピウス、ギーディオンに群がる多数派によって再び丁重に追い出されてしまった。」
「建築を通して社会を変えるという目標を掲げた左派の建築機能主義は、一九三二年以降衰退していったのであった。」
ここで名前があがったマイヤーとはハンネス・マイヤーのことだ。ハンネス・マイヤーは1928年からバウハウスの第2代目の校長となった。これは初代校長のヴァルター・グロピウスからの指名だった。しかし1931年、共産主義者であるという理由で校長を解雇された。
ジョゼッペ・テラーニ
著者のヴィンフリート・ネルディンガーがドイツ人であることから、本書はドイツでの政治と建築とのかかわりについてが中心となっている。ドイツにおける政治を扱う上で避けては通れないのがナチスだ。そのナチスについて書くには、ナチスが参考にしたイタリアのファシズムについても書く必要がある。この時代を代表する建築家がジョゼッペ・テラーニだ。
テラーニは現在ではモダニズム建築を代表する建築家の一人であると見なされている。ファシズム時代の建築家ではあるが、その作品は洗練されており、いまでもその構造的な美しさが高く評価されている。この点については著者も否定はしない。
「彼の作品が今日まで例外なく、建築家たちから最高の建築的な「質」と承認されてた」
しかしその評価は「もっぱらその表向きの永遠の美しさを賛美できるように、彼の建築を社会的コンテクスト、すなわちファシズムから引きはがし」ていると指摘する。
見た目の美しさだけではなく、建築は政治や歴史、つまりその時代の人々とどのように繋がっていたかを考えなければならない。
建築家の姿勢と作品の評価
とはいえ、ある作品を「ファシズム時代の作品だから」「ナチズムの作品だから」ということで遠ざけてはいけない。著者は次のように語る。
「テラーニがファシストとしてこの政権の仕事に全精力を投入したことを非難するのは、的はずれなことだろう。純粋に美学的な基準から近代建築の傑作と見なされ、それでいて「悪の華」を賛美するような建築を、われわれがいかに扱っていくかが、問題なのだ」
過去の建築をどう扱うかは、未来の建築をどう考えるかにも繋がってくる。現在はやや見直された感があるが、テラーニや、あるいはより批判的に評価されるナチスの建築家アルベルト・シュペーアを、全体主義への賛同者だと非難することは簡単だ。しかし、それは未来の建築家がそのときの政治、つまり民族や国家や歴史を極力感じさせないものをつくることに繋がるだろう。
著者は次のように指摘する。
「第二次世界大戦後多くの建築家は、産業構造物が自分たちにとっての「ニッチ」もしくは「避難所」だったと主張した。そこでなら、民族主義的にではなく近代的に建設することができ、自分たちが「まとも」であり続けられたというのがその理由である。」
政治の終焉と「記憶」
本書で取り上げられるのは近代建築よりも少し前の時代から、第二次世界大戦の後までとなる。これらの時代に建築と政治がどのようにかかわってきたについて書いている。
歴史上、建築は「政治」と密接に結びついてきた。巨大建造物は時代の為政者によって建てられてきた。膨大な予算および労働力を必要とする巨大建築の建設に「政治」が関わるのは必然なのだ。
ヨーロッパにおいて中世における政治とはキリスト教と強く関係しており、中心となる建築物は大聖堂だ。その考察が可能になるのは中世が終わってからだ。政治の考察とは、その政治状況のなかにいる間には検証が困難なものだといえる。
「いかにすれば建築作品が、特定の理念や政治的なプログラムを自らの内に受け入れ、それを伝え、あるいは表現することができるかという問題に最初に体系的に取り組んだのは、二〇世紀の建築学と芸術学だった。教会建築は神学と宗教儀式が染み込んだものである、という十分に根拠のある想定は、ヨーゼフ・ザウアーによる一九二四年「教会建築の象徴学」に関する著作」からだと著者は語っている。
本書の各評論ではナチスやファシズムをはじめ、「建築と政治」についての考察が展開されている。このような「建築と政治」についての考察が可能となったのは、この二つが乖離して久しく時間が経ったことを意味しているのかもしれない。
重要なことは建築が「記憶」している「政治とかかわった歴史」を忘れないことだ。そのためにわれわれがすべきことは何なのか、本書の最後の評論3本にそれが書かれている。