建築書の起源
建築書を読んでいると、同じ書名に何度も出くわすときがある。そのなかの一冊に本書、ウィトルーウィウスの『建築書』がある。ウィトルーウィウスについては『建築書』の著者であるということ以外はほとんどわかっていない。出生地やその生涯についても不明である。どうやらローマ市民であったようだが、それも推測の域をでない。
『建築書』そのものについても不明な点が多い。書かれたのがいつなのかもわかっていない。『建築書』に言及している書物で、もっとも古いものが紀元1世紀後半にあるので、その頃には既に書かれていたことになる。本書の冒頭で呼びかけられる、カエサルに対してつけられた尊称から、紀元前27年以前に書かれたとする見方もある。本書に登場する建築物もすべて紀元前のものである。これらのことからも紀元前に書かれたと考えるのが妥当であろうと思われる。
近代語に訳されたのは、もっともはやいものでイタリア語の1521年。 ドイツ語とフランス語には1547年に近代語に訳されている。広く読まれるようになる訳書が別に存在している場合もあるが、だいたい16世紀にヨーロッパで読まれるようになった。とくにルネサンスの建築家は本書を拠りどころとしていた。
建築家に必要なもの
まず本書では建築において制作と理論が必要であると書く。
「学問をかえり見ないで腕の方に習熟するように努めた建築家は骨折りのわりに権威を獲得するようになりえなかったし、また理論と学問だけに頼った人たちも本体でなく幻影を追求していたように思われる」
この制作と理論についてウィトルーウィウスは、「意味が与えられるもの」と「意味を与えるもの」という書き方をしている。つまり建築家に必要なものは、つくられるもの(制作)と、それをつくるもの(理論)の両方だということになる。その理論を習熟するためには学習に従順でなければならないとし、さらに天賦の才能も必要だとする。
ウィトルーウィウスが建築家に求める条件として以下のように書く。
「そして願わくば、建築家は文章の学を理解し、描画に熟達し、幾何学に精通し、多くの歴史を知り、努めて哲学者に聞き、音楽を理解し、医術に無知ではなく、法律家の所論を知り、星学あるいは天空理論の知識をもちたいものである」
建築があつかう分野
建築の部門についても細かく分けて書く。まず最初の分類として建築を三つの部門に分ける。それは建物を建てること、日時計を作ること、器械を造ることの三つである。つまり、建築は建物と日時計と器械が混合したものとして考えられている。現在の感覚では、日時計が建築というのはやや意外な感じもする。
建築は太陽や風の動き、水の動きと密接にかかわっている。照明も空調もない時代、建物には日光と風向きが重要な意味を持つ。気流が滞り、不潔な空気がたまれば、病気になる危険性が高くなる。これは医学ともかかわることであるし、人体にかんする知識も必要になる。
時間は日光の傾きによって計られる。暦は月と密接に関連する。太陽、月、天体についてよく知っている必要がある。器械の動力はおもに水力が用いられる。電気はもちろん蒸気機関もまだ発明されていない時代のことである。エネルギーとしてあるのは、川を流れる水の力くらいのものである。
これらのような、太陽、風、水、天体といった自然の動きを理解して工作に適用するという、そういったことの全体が”建築”と考えていた。
建物に含まれる二つのもの
ウィトルーウィウスは三つに分類された建築のうちのひとつ、「建物を建てる」をさらに二つに分ける。それは、公共建築と私人の家の二つだ。さらに、公共建築を三つの区分に分ける。それは防御的、実用的、宗教的という三つの区分だ。ここに、有名な「強さと用と美」というものが登場する。
「強さ」とは、基礎が堅固であり、材料が注意深く選ばれ十分な量を使うことである。
「用」とは場に欠陥がなく、使用上支障がなく配置されることである。
「美」は外観が快く典雅であり、肢体の寸法関係がシュムメトリアであるということである。
つぎに住居について書かれる。「ある者は木の葉で屋根を葺きはじめ、ある者は丘の麓に洞窟を掘りはじめ、ある者は燕の巣とその造り方をまねて自分たちのはいるところを泥と小枝で造りはじめた」と、住居の起源について書かれる。
さらに「人間は本性において模倣的であり学習的であるから毎日互に発明を誇って家の出来栄えを示し合い、こうして競争によって技巧を鍛錬して一日一日と鋭い判断の持ち主になっていった」とする。
シュムメトリアについて
本書にまつわるもので、もっとも有名なものに人体図がある。これはレオナルド・ダ・ヴィンチが本書の記述を読み、それをもとに描いたものである。
まず、次のように書かれている。
「実に、シュムメトリアまたは比例を除外しては、すなわち容姿の立派な人間に似るよう各肢体が正確に割付けられているのでなければ、いかなる神殿も構成の手段をもちえない」
そして、各人体の部分同士の関係性について書かれる。たとえば身長に対して、頭部顔面は顎から額の上の毛髪の生え際までがその1/10、頭は顎からいちばん上の頂まで1/8、首の付け根を含む胸のいちばん上から頭髪の生え際まで1/6、というように。
これらの記述を絵にあらわしたものが人体図であり、これは医学のシンボルともなっている。
建築、とくに神殿と劇場について
当時、もっとも重要な建築物は神々を祭るための神殿であった。本書でも神殿の建築について多くの紙幅が使われる。
まずはイオーニア風の殿堂の配置、柱、柱廊、柱列の説明。前柱式、両前柱式、周翼式、擬二重周翼式、二重周翼式、露天式といったものの説明。神殿の外観を柱の幅によって五つに分類している。
「柱が密にある密柱式、柱間隔にゆとりの少ない集柱式、もっと明きの大きい隔柱式、適当以上にあいて柱と柱の間が引離されている疎柱式、正常な柱間の割付になっている正柱式」とある。他にも、「正面の階段は常に奇数であるように定めらるべきである」などという記述もある。
神殿においてもっとも重要なものは柱であり、とくに柱頭部分とその装飾についてはかなり詳細に書かれるている。エピステュリウムという柱頭のすぐ上の部分、その上のトリグリュプスとメトパ、その上にあるコローナ、最上部のシーマ、それぞれに正確な比率で造られなければならない。ドーリス式・イオーニア式・コリントゥス式という三つの様式は、柱のつくりかたによる違いである。
神殿と同時に重要な建築物として劇場がある。これは神々の祭日に催し物を見物するための劇場である。気流や日光の差し方を考慮する必要がある。さらに周回通路をどのように設けるべきかも書かれる。劇場では音の反響を考慮しなければならない。
「上昇する音に合わせて階段席を造り上げる」ことが書かれる。
さらにここから音に関する考察、連続音や旋法の種類の違いについて、かなり詳細に書かれる。当然のことながら、当時はいまのようにスピーカーを使って音を増幅することはできない。その土地の音の響きかたから建築に適しているかどうかを考慮する必要がある。
「声が穏やかに落ち着くような、声が反射して跳ね返って耳に不正確な意味を伝えることのないような、そんな場所が選ばれるように留意させるべき」とし、土地の性質を不響の地、余響の地、反響の地、協響の地というように分類し説明する。
全部で十書ある
本書『建築書』は十書からなる文献だが、ここまでの内容はその半分、五書までのものだ。基本的に全ての書の最初に序として、本書をささげるカエサルへ向けた文章がある。各書に書かれる技術的な部分よりも序に書かれる内容のほうに、現在の建築にも通じる部分がある。
二千年以上前の書物であるが、非科学的と感じる部分はさほど多くない。基本的には技術書であり、呪術や宗教などに基づいて、なにかをつくるということもあまりない。
また当時は自然にたいして、その環境を変化させるということができない。そのために自然をよく観察し、可能なかぎり快適に過ごすための工夫がなされる。
現在では、たとえば土地の風向きや湿度などはとくに考慮することなく、住宅を建ててそこに住むことができる。これは室内の空気を調整することが可能だからだ。当時は住宅を建てるためには自然をよく観察し、それらについて十分な知識を持つことが必要であった。