建築書の起源
後半の第六書の序にて、ウィトルーウィウスは学問の重要さを説く。
「学問の助けによらず幸運の助けによって自分をまもろうと考えている人たちは、滑りやすい道に歩を運んでいる」
また、富の所有が賢さをあらわしているわけではないことも書いている。ウィトルーウィウスは「悪評を伴った富裕よりもむしろよい評判を伴った貧乏を良し」とすると言い、このような記述から彼自身が建築家として成功しなかったのではないかという見方をされることもある。
住む家の配置についての考察
住む家について、宇宙のどの傾きに定められるかが配慮され、正しく配置される必要がある、と書く。北部の地域では開放的ではないが暖かい方へ向いた部屋をつくるべきであり、南部の地域ではなるべく開放的で北と東北に向いた部屋をつくるべきであるとする。ウィトルーウィウスは「自然が損なうものは技術によって正されるべき」と主張する。開放的であることの理由は風の流れを正すためにあり、方角は日差しを正すためにある。
さらに、ウィトルーウィウスは、自然によって異なる性質をもつようになるのは、その土地だけでなく人体についてもあてはまるという。北と南でそれぞれ育った地域による差、体型、肌の色、髪質、声の高さ、などのついてを書く。また、暴力に対する意識と、熟慮に対する意識の違いもあるという。現在では人種差別的だと批判されそうな内容であるが、本書が書かれた時代には当然そのような意識はなく、地域による差程度の意識であったのだろう。
建築は、土地の性質、利用用途、利用者の利便といったことを考慮しなければならない。これは紀元前から現在まで変わらない基本だ。たとえば図書室については、書物という紙でできたものを扱うことを考えれば湿度の高さは極力避けるべきである。そこから、ウィトルーウィウスは「寝室と図書室は東に面しなければならぬ」「南や西に面する時は、いつも虫や湿のために書物が損われる」と書く。
また、「春と秋の食堂は東向き」に、「金貸しや収税吏にはもっと工合のよい」「盗賊を防ぐことができる室」を用意するといった考察がなされる。
「葡萄酒の庫が、窓による光線を北から」採るのは、熱で酒が悪化しないためであるし、「油の貯蔵室は南あるいは暑い方角から光を採るように配置さるべき」なのは油が凝固しないように、熱で稀薄にされるべきだからである。
あるいは、「穀物は急速に蒸れることがなくて、通風によって冷やされ、いつまでも貯蔵される」必要がある。
建築の良否とはなにか
ウィトルーウィウスは、建築の良否の判定を決めるものには三つのものがあるという。ひとつは仕事の繊細さによって、もうひとつは壮麗さによって、最後に配列によって決まるという。繊細さは職人の腕によって決まる。壮麗さは費用の大きさによって決まる。そして配列は美と比例とシュムメトリアで決まり、それによって褒められるのが建築家の誇りであるとする。建築の本質とは各部の細かさや繊細さにあるのではない。また規模の大きさにあるのでもない。配列の美しさにある。その配列とは比例によってなされる必要がある。シュムメトリアとは各部が不自然にではなく適切に一致し、組み立てられていることを意味している。
建物以外の建築についての考察
ウィトルーウィウスは、建築は建物、日時計、器械をつくることの混合であるとした。現在の建築設計をおこなう建築家とはやや異なる部分がある。本書でも、建築の設計以外についても書かれる。まずは建物の仕上げについて。どのようにすれば美しく強く仕上げることができるかについて書かれる。床や壁に塗る、塗料や顔料にかんして、さまざまな色のつくりかたをその原料の説明から詳細に書かれる。
次に水について。水の発見にかんして、水が土地の特性に応じてどんな性質をもつかということが書かれる。このようなことが「建築書」に書かれるということは、現在では奇異に感じるかもしれない。水源について、温泉について、水の種類、アルカリ質の水、酒について、各地の川や湖について書かれる。水道については、三種類のつくりかたが書かれる。築いた溝を通る水流、鉛管によるもの、陶管によるものの三種類である。
日時計について
日時計のつくりかたについても書かれる。
「それが宇宙における太陽の放射線から針の影を通じてどんなふうに発明されたか、どんな理によって針の影が長くなったり短くなったりするのか」
太陽の挙動、星座、とくに十二星座の動きについても説明される。
「十二ヶ月で十二座の区間を一わたり動いてまたはじめの星座に戻る時、一周年の区切りを完結する」
太陽系について、水星、金星、火星、木星、土星という認識がすでにある。
ただ存在のみを知っているだけでなく、「ある星は中庸であり、ある星は熱く、さらに冷たくさえある」ということも理解している。これが紀元前に書かれた本であることを考えると驚くべきことだ。
「宇宙における星星の像が、どんな姿を採りどんな形につくられているか、自然によって神意によっていかに意匠されているか、それをわたくしは自然学者デーモクリトゥスの定めたとおりに説明した」
「過去も未来も星を測ることから解明することができるというかれら(カルダイア人)の占星術の理法は独特のものである」と書いてある。現在のように生まれたときから時計があるような暮らしをしていると、気づかずに過ごしてしまうが、時間という概念が星の動きを解明することで生まれ、そこから過去と未来というものを認識できる。
器械について
ここでいう器械とは、水を高いところまで運ぶためのものや、水力による楽器、兵器などのことである。当然のことながら電力もガソリンも蒸気もまだない。そのため、たとえば兵器といっても、地上に固定して使う巨大な弓のようなものである。
ウィトルーウィウスが定義する器械とは「木材を結合して組立てたもので、重い荷を動かすにすぐれて大きな力を発揮するもの」とする。さらに「それは円を利用して回転運動で動かされる」とし、「すべての機構は、自然法則によって生み出され、宇宙を教師師匠としてその回転に則って定められる」とする。
この定義には運動の基本というものを改めて認識させられる。あらゆる動きは回転であるという事実に気づかされる。歩くときの股関節の回転、移動というものは回転運動が水平運動へと転換されたものに他ならない。紀元前の時点で、基本となるものはすでに発見されている。
建築の起源
本書には建築の起源ともいえるものが書かれている。それは自然のなかで生存していく人類が、その自然に対して、より快適に過ごすために用いる”道具”をつくることにある。そこには住居、公共施設、道路、橋などももちろん含まれるが、建築の最初にあったのはより広範囲にわたる必要なモノをつくることにあった。そのためには建築家は自然と人体を深く理解している必要があった。さらに生物としての人間の生態だけでなく、社会におけるヒトとしての文化的な側面、たとえば音楽や神話についても理解している必要があった。
自然科学にかんする知識とは、おもに太陽と空気と水についての知識ということになる。それは天体の動きと結びつき、そのまま神話の神々と結びつくものだ。方角の重要性、土地の性質や水と湿度、風の流れの考慮など、建築物の造形の前に考えるべきことが多数あった。
時代の流れとともに、かつて建築家が考慮すべきだった自然の問題は解消された。現在では、建築家は外観や内部の空間をどのようにデザインするかということに注力できるようになった。本書には紀元前という時代の、ある意味では制約された建築家の姿がある。自由に創造性を発揮するよりも周囲の環境を無視するわけにはいかない事情がある。
しかしながら、その建築家の姿は人が生きていくうえで必要なものをつくるという基本に立ち戻ることを教えてくれる。その観点に立ったとき、建築にとってもっとも重要なものは、自然や環境といかに調和していくかということだと改めて考えさせられる。