下巻の概観
日本近代建築の通史を新書二冊にまとめた良書の下巻。上巻で扱った時代は幕末・明治だったが、下巻では大正・昭和についての考察となる。
上巻の最後に登場した日本人建築家を第一世代とよぶ。それまでの大工の棟梁の延長で「建築」をしたものとは異なり、外国人建築家から建築を学んだものたちであった。彼らのさらに次の世代が、下巻の主人公たちである。横河民輔、長野宇平治、伊東忠太、武田五一、中條精一郎、野口孫市、桜井小太郎という東京帝国大学出身の第二世代。
さらにもうひと世代あとの、田辺淳吉、佐藤功一、安井武雄、大江新太郎、渡辺節、岡田信一郎、長谷部鋭吉、渡辺仁。この世代が、第二次世界大戦まで続く。
また、これらの建築家とは別に、モダニズム側の建築家についても書かれる。前川国男、坂倉準三、丹下健三といった建築家たちのことである。
建築論の誕生
第二世代のなかでもっとも焦点を合わせられるのが伊東忠太である。彼が日本の「建築論」の起源に位置している。伊東は『建築哲学』を書き、はじめて言葉によって建築を語った。
「なぜヨーロッパなのか、とか、国家以外に表現の原理はないのか、といった足許を問う疑問が生まれた時、自ずと言葉は目覚める。」と藤森は書く。
それまでは来日した建築家から建築を学ぶことが中心だった。答えはヨーロッパにあり、それを修得するという作業から、新たに自分たちの問いを掘り起こす作業へと進んだ。藤森は、「美の本質にまでさかのぼって論じた」と伊東の功績を述べている。さらに伊東は「美は過去に成立した様式のなかにある」とし、法隆寺とギリシア神殿の共通点をあげ、それを証明するために複数年かけてユーラシア大陸を西へ進んでいった。
主義の変遷
日本の建築はヨーロッパの影響を受けながら、日本独自の慣習や伝統と融合しつつ変化していく。当然、ヨーロッパと同じ変化ではないし、かといってヨーロッパとは完全に異なる日本独自の建築というわけでもない。時代が進むのに合わせて変遷していく建築は、それぞれ名称がつけられることになる。すなわち「欧化主義」、「折衷主義」、「進化主義」、「近代和風」、「アジア主義」といった名称だ。
さらには「進化主義」のなかには「帝冠式」と呼ばれる独特のものがあったり、「アジア主義」のなかには伊東忠太がユーラシア横断中に吸収して持ち帰ってきた「インド様式」と称する建築があったりする。
20世紀建築の二つの大きな流れ
1901年からの100年間の建築を語るとき、近代建築(モダニズム)を外すことはできない。また、それと対照する建築として歴史主義も外すことはできない。歴史主義は大きな括りで言えば古典主義でもある。つまりロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックと続いてきた歴史と伝統を重んじた建築のことだ。近代建築はそれに反し機能や工業に接近した建築である。
まず日本の歴史主義側の考察として、藤森は三つの派に分類して記述している。一つめは新興アメリカのパワフルな歴史主義様式を輸入するアメリカ派、二つめはヨーロッパの歴史主義への理解を深化させて表現の質を上げるヨーロッパ派、三つめとしてモダンデザインの新しいセンスを取り込んで再生させる新感覚派である。
近代建築側のうごきとしてはバウハウス派とコルビュジエ派という分けかたをしている。モダニズムについて藤森はその範囲を「始点のアールヌーヴォーから終点のミース」として、次のように考察する。
まず、大量生産された鉄とガラスとコンクリートの三大近代建築材料が全面的に採用されたこと、さらにそれらの「デザインを正当化する理論としては、機能主義が唱えられ」たことである。
「産業革命以後の工業化の時代にふさわしく、様式や装飾といった無駄を省き近代技術を駆使し、そこから生まれる直角と白の合理的で機能的な表現こそ美しい、とする。」
その上で近代の問題点についても指摘する。
「しかし、問題は生産だけではない。進んだ技術による大量生産は、当然のように大量消費をひき起こし消費の場を発展させる。始点には生産の空間としての工場があり、終点には消費の空間としてのストリートが広がる」
戦争と建築
本書のなかでもっとも興味深いのは、近代建築のなかでもバウハウス派とコルビュジエ派によって戦争に対する姿勢に違いがあることについて書かれた部分だ。
まず藤森は「バウハウス派とちがい、どうしてコルビュジエ派は第三帝国風や伝統様式にすり寄る素振りをみせてしまったのだろう」と疑問を呈す。
ヨーロッパにおいても状況は似ていて、ヴァルター・グロピウスもミース・ファン・デル・ローエもナチスに追われアメリカに亡命しているが、「コルビュジエは、ナチスの傀儡のヴィシィ政権の許に呼ばれもしないの馳せ参じ、都市計画に励んだりしている」。
バウハウスこそ、ドイツ由来の建築であり、ナチスに取り込まれてもおかしくはなかったように思われるのだがそうではない。
日本においてもバウハウス派、コルビュジエ派のそれぞれの派に分けられた建築家たちに、政治的信条の偏りがあったわけではない。そこで藤森は、この現象をデザインに由来したものと考える。デザインとはつまり、バウハウス派は抽象的なものを好み、コルビュジエ派はダイナミズムや自然素材の肌ざわりを好むということである。
さらにそこから、コルビュジエ派のダイナミズムは超越的な記念性、自然素材は大地に向い、地域に根ざした伝統を呼び起こしやすいと藤森は書く。超越性や伝統は”強力な国家”と親和性が高くなる。無記名な抽象性は自他の区別や個別性を解消していくので、自国のカラーを前面に押し出す力強さをあらわすには不向きであるといえる。デザインと政治信条の関連性を説明しているところが本書の秀逸な点だ。
歴史主義と近代建築
下巻は第二次世界大戦の終戦とともに終わる。全体と通して、日本近代建築を幕末からはじめ、戦争の敗戦まででまとめたことになる。通史という体裁をとってはいるが、歴史的な事実を時系列で述べているだけではない。藤森の視点による分類や考察は明瞭で説得力がある。
現代建築から建築史を遡れば近代建築へとたどり着く。その先では実は明確な建築様式上の繋がりはない。藤森も書いているように、歴史主義と近代建築の間の断絶は深い。現在の日本の建築は西洋の建築の学びからはじまった。つまり西洋における歴史主義と近代建築の断絶以上に、日本のそれまでの大工仕事の「建築」と近代建築との断絶は深い。
歴史主義と近代建築を取り入れながら、独自の変化をつづけてきた日本建築の、その流れが本書には書かれている。