◆L・B・アルベルティ
『建築論』1/2

建築史上三番目に古い本

ヨーロッパの建築史でもっとも古い建築書はウィトルーウィウスの『建築書』といわれている。これは紀元前にローマで書かれたとされている。その次に古いものとして13世紀のフランスで活躍したヴィラール・ド・オヌクールの『画帖』がある。本書はこの二作についで古いとされる建築書の古典だ。

著者のレオン・バティスタ・アルベルティはルネサンス期のいわゆる万能の人だ。執筆されたのは15世紀の半ばごろだと考えられている。本書は16世紀以降、ヨーロッパの建築界に大きな影響を与えつづけた。アルベルティは建築家としても作品を残している。また『建築論』以外の著作でも、有名なものとして『絵画論』、『彫刻論』などを残している。本書は全十書から構成されている。第五書までと第六書のあいだで執筆の中断があったのではないかともいわれている。

全体として連続性が明確にあるわけではないが、かといって個別の内容が順序に関係なく書かれているということでもない。同じ内容について繰り返し書かれている部分もある。

レオン・バッティスタ・アルベルティ (https://it.wikipedia.org)

レオン・バッティスタ・アルベルティ
(https://it.wikipedia.org)

建築家の仕事とは

本書を読んでいてとくに興味深いのは、建築家の職分がいまとは異なる点だ。当時の建築家は軍事に関する仕事にも深くかかわっていた。戦闘や攻撃からの防御という観点で建築を考える必要があった。また自然に対する姿勢も現在とは大きく異なる。現在では暖房や冷房、加湿や除湿など、基本的にどのような気候環境でも快適に過ごせるような設備がある。

しかし当時はいまのような空調もなければ浄水設備もない。その土地がどのような状況にあるかを正確に把握していなければならない。建築家にとって、設計と同様に建てる土地をどこに選定するかを決めることも重要な仕事だった。

アルベルティ像 (http://ja.wikipedia.orgより)

アルベルティ像
(http://ja.wikipedia.orgより)

土地の選定にあたって、まずはその土地の気候を考慮する必要があると本書では指摘する。たとえば霧や水蒸気や自然の臭気などによる空気ヘの影響がないこと、乾燥しすぎていないこと、温和であること、そういった基本的なことにくわえて、気候による人体への影響も考えなければならない。

「寒冷地に住む人の身体は健康で病に縁がない」
「温暖地では人は天稟に恵まれ、寒冷地では体力に優る」
「幾分湿潤で温暖な場所」では「人々は高い背丈と美しさに恵まれ、さらに陰うつな気質からは最も縁遠いもの」などが書かれている。

太陽光、風、水、植物の毒、虫の害、こういったことすべてが地域の選択においては考慮すべきであると書かれる。これらは現代では建築の範疇外にあると考えられている。他にも現代の科学的な考察からはかけ離れた内容もいくつかある。たとえば、その土地に先天性奇形児が多くないかどうか、生まれた子どもの顔に怪物のかげを見ずにすむか、瘤、斜視、手足のねじれた者が多く生まれていないか、といったことを重要なこととしている。これらの原因として、気候や空気の効果、ならびに欠陥をあげつつも、それ以外にも隠れた原因があるかもしれないと書かれる。

「若干の土地で、ある種の超自然力が、時おり人の心をかすめ魔力を発揮する。」
「そこでは人間は簡単に思慮分別を失う。あるいはやすやすと破滅に身をゆだねる。あるいは絞首、投身または鉄器や毒をもって、はかなく命を断つ。」

つまり、”魔力”によって奇形や”怪物のかげ”を顔にもつ子どもが生まれたり、発狂する者や自殺者が多くでていると考えている。土地の選定ではそれらも考慮しているのだ。しかし本書は、非科学的な奇書ではない。執筆時点の15世紀には現在と比較して解明できない事柄が多くあった。それらと隣り合わせで建築が存在していた。

変わらぬ建築の真髄

本書には現在の感覚ではやや滑稽にすら感じる非科学的な部分もある。それはウィトルーウィウスの『建築書』にも同様にあった。しかし、同時に現在にも通じる建築の真理とも言える記述も多くある。たとえばアルベルティは建物について次のように書いている。
「建物はすべて、輪郭線と構造とで構成されている。輪郭線のあらゆる効果と理論を利用するのは、線と角とを結合し相互に適合させる正しく十分な手段を得ようとするためである」

Santa Maria Novella (http://www.afterauschwitz.org)

Santa Maria Novella
(http://www.afterauschwitz.org)

このような基本的な部分から考察をはじめ、「建物のすべては、六つの部分から成る」とし、それは「地域、床面、分割、壁、覆いおよび開口」だとする。
さらにそれぞれについて、どうあるべきかを解説していく。

階段についての説明では、アルベルティ独自の考察がある。
「優れた建築家がほとんどの場合、一連の階段に七ないし九段以上の段を押し込まないように注意していたことである。この数は惑星あるいは天体の数を模したものと思う。ともかく七あるいは九段ごとに踊り場が設けられていたことは大いに学ぶべきである。」

現在の建築と通じる部分として建築模型についても触れている。
「仕上図やスケッチだけでなく厚板か何かの材料で作った模型によって、作品の全体と各部のすべての寸法を、秩序立った観察を通じて、再三再四熟考し吟味すること」

模型制作によって、その地域の地形、敷地の状況、建築諸部分の数および配置、壁の形、屋根の安定さがわかる。さらに、すべのことが正しく適合し納得されるまで、自由に加減、交換、更新が可能であるのも利点であるとも書いてある。

技術書として、あるいは心得として

本書は『建築論』というタイトルどおり、建築に関する事柄のすべてを網羅しようと意図している。たとえば第二書である「資材」では、あらゆる材料について書かれている。木材の使用前の処理、石材、れんが、石灰、砂。さらに第三書「諸工事」では壁、梁、アーチ架構、曲面天井、屋根葺材、舗装、第四書「公共施設」では周壁、道路、橋、下水、港について。

アルベルティの作品のひとつ マントヴァのサンタンドレア教会 (http://ja.wikipedia.orgより)

アルベルティの作品のひとつ
マントヴァのサンタンドレア教会
(http://ja.wikipedia.orgより)

仕事をしていく上でおこなうべきではないことを書いている。まず、能力以上のことをしないこと、さらに自然に反抗したものをつくらないこと、未完成に苦しむような仕事を引き受けないこと。また、仕事においては何ができるかよりも何が相応しいかを考えるべきだと述べる。娼婦が高い費用をかけて墓をつくった例をあげ、娼婦の生業が王のように財産を築いたとしても、その女は王の墓をもつ資格はないと書く。

私的なものは穏当なものが相応しく、公共のものは豪華で威厳あるものが相応しい。しかし時には公共のものでも私的なものの節度を見習うべき、とアルベルティは言う。また後継者の無関心、住民の嫌悪によって見捨てられるようなものをつくるべきではないとも説く。

第五書 各種施設

本書前半でもっとも読むべき価値の高い書は、第五書だ。ここでは各種の建築物の種類によって、それらがどのように建てられるべきかが書かれる。

たとえば僭主の居館として、どうあるべきか。これは大衆の上に立つべき唯一人のために何をつくるべきかということだ。ここで興味深いのは「壁の厚みの中に隠した秘密の盗聴用導管」という部分だ。アルベルティはこれを必須のものとして書いている。また、ただ一人で統治するのではなく多人数で強力して国を統治する場合として、高官の私邸、聖堂の位置についても書かれる。

さらに修道院、講堂、病院について。これらはどのように建てるかと同時に、どこに建てるべきかが重要になる。また出入り口の数や壁の高さなど、個別の要件に合わせて考慮すべき点が述べられている。たとえば修道院は世俗住民の雑踏から遠ざけるべきだし、さらに不慮の賊による暴力や、出撃してきた敵の手で略奪されないようにするべきだという。当時の社会秩序を垣間見れる部分だ。

つづいて元老院、裁判所について次のように書かれる。元老院は高齢で疲れやすい元老院議員たちが集まり、ともに長時間列席しやすいように、長い道程を要する遠隔地や、不便な土地につくるべきではない。また都市の中央に元老院議場が設置され、裁判所と神殿を隣接して配置すべき。なぜなら、元老院議員は概して皆高齢で信心深く、神に詣でた後、神殿から国務へと妨げなく移るのに好都合となるからだ。

さらにこれらの種々の施設が集まった公共の場所では、多数市民を受け入れ、礼儀正しく集合させ、また的確に解散させるためのものを省略すべきではない。すなわち、道、光、空地である。これらはカミロ・ジッテの『広場の造形』にも同様の考察がある。

ナヴォーナ広場(ローマ) (http://ja.wikipedia.org)

ナヴォーナ広場(ローマ)
(http://ja.wikipedia.org)

法廷は多数の人々の口論の場であるから、その開口部は神殿や元老院におけるよりも、さらに多く、大きく、かつ取り扱いやすいものするべき。元老院の出入口は威厳に満ちたもの、それに劣らず防備されたものとするべき。
話声、朗詠、歌あるいは討論を聞くべき場所では丸天井は控える、それは反響し必ず不都合をきたすからだ。

前述したように、アルベルティの時代の建築家は軍事にも長けている必要があった。第五書では陣営についても書かれる。陣営には三種類ある。それは一時的なもの、不動のもの、敵の攻撃を耐えるためのものの三種類。それぞれ有利な立地につくる必要がある。敵の陣地をすべて一望のものに見渡せるような高地が望ましく、悪質な水が近くに出ないことが重要であると同時に良質の水を得られることも重要だ。陣営の具体的なつくりとしては、堀を掘って底をならし、出た土は盛土する。さらに盛土は手槍が届かないように高くする。古代の人はこの盛土に草原の土を使った。それは草の根が絡み合って崩れないためだ。
さらに堀の内壁や盛土の外側にイバラ、尖った杭、鉄の歯をつけた棒などを差し込み、敵の登り方が鈍くなるようにする。そういったことを適切におこなうことも建築の重要な役割であった。

つづいて貯蔵庫、牢獄について。アルベルティは古代の牢獄を例に出し、牢獄にも三種類あると指摘する。まずは放縦で無教育すぎる者たちを集める所。ここでは有識者が美徳と良俗に役立たせようと教化薫陶をする。次に支払不能債務者、身についた遊蕩の生活から、刑務所の単調さによって脱しなければならない人たちが拘留されるところ。最後に、天人ともに許し難い恐るべき犯罪者、あるいは近々処刑される者、あるいは暗闇と不潔の中に閉じ込めるよう判決された者たちが送られるところ。牢獄はどうあるべきか、脱走を防ぐための事柄が書かれるが、最終的には「注意すべきはたゆみない監視の目こそが堅固な牢獄ということである。」と書く。

さらに別荘の立地、農家、畜産施設、別荘とシーヌス、と解説はつづく。シーヌスとは中庭のことである。夜間の明るい照明がなかった時代、住居のなかで光をどのように取り込むかは重要だった。アルベルティは日中の様々な光の持つ具合よさがきわめて適切に導入されるように、「あらゆる構成要因が、あたかも広場に対するようにシーヌスに結集する」よう配置すべきであるとした。

家屋、住宅の考察では、食堂、暖炉、煙突、寝室、書庫、穀物の貯蔵室、ブドウ酒の貯蔵庫、油の貯蔵室について書かれる。

『建築論』の前半第五書まで

ここまでがアルベルティの『建築論』の前半部分、第五書までにあたる。

読んでいると、ウィトルーウィウスの影響が非常に強いことがわかる。本書は、ウィトルーウィウスの『建築書』からは約一四〇〇年経過している。しかもその間に新しい建築書は書かれていない、あるいは書かれていても後世に残るものではなかった。これほどまでにウィトルーウィウスの影響を受けているのは、その間の建築術の進化があまり見られなかったせいだろうか。あるいはウィトルーウィウスの『建築書』がそれだけ普遍的であったと考えるべきだろうか。
本書は建築の”設計”というよりも建物をどのように建てるかという建築全般にかかわることが書かれている点が特徴的であるといえる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『ウィトルウィウス的人体図』 (http://ja.wikipedia.orgより)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『ウィトルウィウス的人体図』
(http://ja.wikipedia.orgより)

このような建物に関する事柄は現在では細分化され、各専門家に分担されている。そのなかで戦争にかかわる部分は建築家の手からは離れている。現在の建築とは異なる「建築」が本書の前半部分にはある。後半の第六書以降は装飾を中心に書かれることになる。そこでは芸術や美ということについての当時の考察を見ることができるだろう。

L・B・アルベルティ『建築論』