変化していく図面
本書はル・コルビュジエの図面集シリーズのなかの一冊。『住宅Ⅰ』とあるようにこのなかには住宅の図面が収められている。
この一冊のなかに収められている住宅は全部で三作品である。100ページを越す図面集なので、かなりの数の図面が収められている。
作品ひとつにつき、ページ全体を使用している図面が約30枚、そのほかに小さい図面が10から20枚ほど集められている。完成図面だけでなく、設計過程の図面や着色された完成予定のイメージ図、メモなども多数収められている。これらから、進行にともなって変化している設計の過程がみられて興味深い。
設計の過程で少しずつ詳細が決められていくのだが、途中で大きな変更が発生しているものもある。それはクライアントからの要望であったり、コルビュジエのなかで生じた新しいアイデアによる変化なのだろう。
ひとつの作品ははじまりから完成まで直線的に進むわけではない。迂回し、あと戻りし、変化していく。それまであったものがなくなったり、あるいはいままでなかったものが突然あらわれたりもする。最終的には採用されなかったアイデアなども見ることが出来る。
このようにひとつの作品を時系列で観察できるというのが本書の大きな魅力のひとつとなっている。図面だけでなく、本書ではそれぞれの作品について、ティム・ベントンによる解説がある。解説では設計過程でのクライアントとのやりとりや、変更していくなかで重要な図面についても説明される。
収録されている住宅
本書に収録されている図面は次の三つの住宅のものである。
・スタイン- ド・モンヅィ邸(1926年)
・ベゾー邸(1928年)
・ド・マンドロ夫人の別荘(1929年)
当時のコルビュジエといば、1927年に国際連盟ビルの設計競技で敗北している。とはいえ、世界的なコンペに参加できる知名度と実績はあった。
20世紀の名作建築といわれるサヴォア邸が1931年に竣工しており、1929年あたりには設計されている。本書に収録されている住宅も、ほぼ同時期に設計されたものであり、コルビュジエが住宅建築の設計において、もっとも脂の乗った時期の作品ということがいえる。
リズミカルな比率と曲線
スタイン邸の図面でははやい段階から、「ABABA」という比率による設計がなされていることをティム・ベントンは書いている。これは平面図でみたとき、壁や柱など区切りとなるもので線を引くと、左からAとBという二つのサイズが交互にあらわれることを差している。
このことはコーリン・ロウが『マニエリスムと近代建築』で「2:1:2:1:2」として指摘した。ロウはこのとき、アンドレア・パラディオのヴィラ・マルコンテンタにも同じ比率が見られることから、二つの建築作品の共通性を述べ、その批評眼に対する信頼を得た。
ベゾーからの手紙
ベゾー邸はコルビュジエとピエール・ジャンヌレとの共作である。
ここでも多くの図面が収録されている。また解説ではベゾー氏からの手紙も紹介される。そのなかではたくさんの案を出し、あるものは拒絶され、あるものは受け入れられたことがわける。またベゾー氏からの抗議により、変更した経緯なども説明される。
本書の魅力のひとつとして、クライアントとのやりとりの紹介がある。どちらかというと、コルビュジエはクライアントとの関係があまりよくなかったように見える。彼らからの批判や苦情や抗議の手紙が本書では多く紹介されている。それらの抗議のうち、なかでも三作品目のド・マンドロ夫人のものがもっとも大きなものであるといえる。
ド・マンドロ夫人の憂鬱
ド・マンドロ夫人の別荘もピエール・ジャンヌレとの共作である。
ここでは、まず地元の大工について考慮すべき点がド・マンドロ夫人からの手紙で明らかにされる。これは実際に建設する上での注意として、夫人が手紙で書いてきたものである。
夫人は「地元の大工はすべてイタリア人施工業者エモネッティの手中にあり、彼と協働しなくてはならないだろう」と書いている。
ド・マンドロ夫人は図面を受け取り、手紙を書く。そこにはコルビュジエらに対して「この図面は理解しがたいです」と厳しい口調で難色をしめす。
夫人はコルビュジエも参加した、近代建築国際会議(CIAM)にも賛同していた。建築にも理解のある人物だったと考えられる。
夫人はこの作品の設計には我慢ならなかったようだ。家がほぼ完成したときの手紙には「嵐でサッシは壊れ、ガラスは欠けています。すっかり滅茶苦茶になり、ひどい状態です」と書いてある。
コルビュジエとジャンヌレはエモネッティが設計を理解せず、また認めなかったからだと非難したという。さらに風雨対策としての修理や改装に対しても、高くつきすぎるとして断念した。
その後の手紙では夫人は次のように書く。
「たった今、家を出てきたところです。とても住むことはできません。この家は、悪天候に耐えられないということがわかりました」
それに対して、コルビュジエが出した返信は「あなたの家は、われわれのもっともよくできた作品のひとつです」というものだった。
クライアントからの強い抗議と非難に対し、まるでコメディアンのような返答だ。しかしこの神経の図太さが芸術家に必要なものかもしれない。
結局、その後、夫人は地元の建築家に改修を依頼する。さらにその後も複数年にわたり、数回の改修がおこなわれた。もっとも、後の改修は使用していくなかでの経年による劣化もあったと考えられるが。
仮に、コルビュジエがクライアントの言われるがままに設計していたら、後世に名を残すような建築家にはなっていなかったかもしれない。建築をもっとも理解しているのは建築家でなければならない。その建築家がクライアントとはいえ、素人の意見に振り回されていては本当によいものはできない。
しかしその一方で実際にその建物を使用するのはクライアントに他ならないというのも事実である。雨に濡れ、強風で窓が割れる家を「もっともよくできた作品」といわれても、何の慰めにもならない。近代建築の巨匠とよばれたコルビュジエにも、またその作品にもこのような側面があったという事実を知ることができるのも本書の大きな魅力である。