◆R・ヴェンチューリ 『建築の多様性と対立性』
 

「多様性」と「対立性」について改めて考えてみる

「多様性」と「対立性」に本当に価値があるといえるのか。

たしかに要素を排除して全体を統一する容易さと比較すれば、「多様性」と「対立性」を含みながら全体の統一性を保つのはむずかしい。

しかし全体が統一しているとき、その要素は全体のなかに取り入れらてしまっているので、要素の多寡は大きな意味をもたない。
逆に要素の多寡を意識させてしまうようでは、つまり異なる要素の存在が認められるようでは、統一がうまくなされていないということではないか。

全体の統一性に芸術の重要性をおくのであれば、必ずしも「多様性」「対立性」の存在は必要ではない。

「多様性」と「対立性」の存在はいたずらに作業を困難にしているだけともいえる。

ヴェンチューリは何度も繰り返し例を示す。
歴史的な名作とされる建築に見られる、「多様性」と「対立性」を列挙する。

それは自身の論拠となるものを並べることに必死なようにも見える。
あるいはそれ以上の説明が不可能であることを悟られないようにしているようにも見える。

例として参照される写真とそれに対するヴェンチューリの説明は一致している。

たしかにそこでの説明に間違いはない。
しかしあまりに続く例の多さに、それは「多様性」や「対立性」である必要はないのでは? という気すらしてくる。

たとえば「冗長性」と「不便性」などという切り口で建築を語ろうと思えばできてしまうのではないだろうか。

膨大な建築物のなかから、該当する部分を切り取り、並べることで、それはいくらでも切り口は作成可能だ。

ポストモダンの条件である「反」モダンという点を満たしていれば時代に受け入れられる可能性も十分ある。

Pages: 1 2 3 4 5 6 7

Sponsored Link