建築理論の通史
1968年以降の建築理論を整理した一冊。同じ著者で『近代建築理論全史1673-1968』もあり、本書はその続編となる。
近代建築以降の建築理論を1968年という年で区切るのは、この年以降、建築に大きな変化があったからだ。1968年はパリの5月革命があり、世界的にも大きな学生運動があった。アメリカではベトナム戦争に対する反戦運動があり、日本でも東大紛争などがあった。
磯崎新もその著書、『建築の解体』において副題に「1968年」を掲げている。
本書では1970年代、80年代、90年代、2000年代と10年ごとに章を分けた構成となっている。1970年代はモダニズム建築が批判的に考察されはじめ、後にポストモダンと呼ばれる建築へと変化していく年代だと言える。70年代後半にはチャールズ・ジェンクスが『ポストモダニズムの建築言語』を発表し、ポストモダンという単語が一般的にも浸透していく。
1970年代の代表者たち
1970年代の建築理論としては、アメリカではロバート・ヴェンチューリとコーリン・ロウ、ヨーロッパではアルド・ロッシとマンフレッド・タフーリが中心だと言えるだろう。
タフーリについて、本書では以下のように書かれている。
「タフーリは現代建築への最初の批評的研究に携わった。『建築の理論と歴史』は、今日から見るとルカーチ・ジェルジの革命的理論とヴァルター・ベンヤミンの分析的公平性との間に位置するように見える。事実この著書の一つの意図は、一九二〇年代の政治状況と現代の思想とを並べて比較することにあった。」
タフーリは批評がイデオロギーのための道具になっていると批判した。つまり、自分の理論に合致するもののみを歴史から選び出して並べ、あたかも自分の理論が歴史的事実のように「誤読」する批評家を批判している。
また巨大産業資本が建築の基盤となるイデオロギーを取り込んでしまったことを指摘した。この指摘は現在まで続く建築を端的に言い表しており、この「イデオロギー」においてもっとも成功したのがレム・コールハースであるとも言えるだろう。
コーリン・ロウの建築理論は「透明性」がその代名詞となっている。また当時のニューヨーク・ファイブと呼ばれた建築家の理論を支えたのがロウだった。ニューヨーク・ファイブとはル・コルビュジエの1920年代の作品にみられるような白くて直線的な特徴を持つ作品をつくっていた5人の建築家たちのことで、具体的にはピーター・アイゼンマン、リチャード・マイヤー、ジョン・ヘイダックらを指す。このなかでとくにピーター・アイゼンマンはその後の建築理論の中心的な存在になっていく。
ニューヨークファイブはその作品の形状から「ホワイト派」と呼ばれた。一方で「グレイ派」と呼ばれたのがロバート・ヴェンチューリだ。ヴェンチューリには『建築の多様性と対立性』という主著がある。モダニズム建築を批判するこの本はポストモダニズムの最も重要な本の一冊だ。
ベルナール・チュミとジャック・デリタ
本書では各年代の建築理論が懇切丁寧に述べられている。通史として網羅的に述べられているために、そのなかで重要なものがどれなのかがいまいち不明瞭であるともいえるかもしれない。1980年代には現代思想と建築の距離が近づき、建築理論は難解なものとなっていく。そのなかで重要な建築家の一人としてベルナール・チュミがいる。
チュミが世に出てきたのは「ラヴィレット公園国際設計競技」だ。本書では次のように書かれている。
「実務経験のない建築家が、レオン・クリエやレム・コールハースを破り勝者」となり、建築界の有名人になった。さらにポスト構造主義の主役でありフランス現代思想の代表的な哲学者であるジャック・デリタがチュミを賞賛した。
「歴史を通して、若い建築家がその地の哲学者や名士からこれほど深遠な承認を授けられたことはほとんどない。しかしながら、これほどまでに建築理論が難解になったことも、かつてなかったのではないか。」と本書は指摘する。
80年代のポスト構造主義、現代思想に影響をうけた建築の象徴的な展覧会がある。1988年「デコンストラクティヴィスト建築」展がそれだ。フィリップ・ジョンソンの発案で、フランク・ゲーリー、ダニエル・リベスキンド、レム・コールハース、ピーター・アイゼンマン、ザハ・ハディド、ベルナード・チュミらが参加した。
「変形、歪み、形態の複雑性こそは、ミレニアムの転換に対応するために相応しい技術だという確信」
「新たなコンピュータソフトウェアの加速する洗練化と非線形的幾何学こそが、ポスト冷戦時代における複雑性や矛盾を最もよく表象するという信念」
ポストモダン建築の説明として書かれたこのような説明は現在まで続く建築観としても通用するだろう。
レム・コールハースの時代
90年代以降の建築理論についても書かれている。しかしそれ以前の建築と比較して理論のもつ意味が変わってきた。建築理論を「信仰」していた建築家はピーター・アイゼンマンあたりを最後に徐々にその存在感を弱めている。
次の世代の中心にいるのはレム・コールハースだ。
「コールハースの議論の要点は、建築家は、資本主義の力にあらがって格闘や抵抗をせず、むしろ資本主義を収奪し搾取すべきだ、というものだった」と本書にはある。
コールハースは世界中に巨大な作品を作りつづけている。そのときどきの資本が集中する場所を舞台にモニュメンタルな建築作品を残している。加速度的に進化していく高度資本主義のルールに参加するかどうか、問われているのはその姿勢であり理論ではない。そしてその流れの行き着く先の必然として、本書では環境や自然資源に配慮した、いわゆるサスティナブルという単語が出てくる。
しかしそれらは起こりつつある変化を受け入れ、いまある状況に対応するという受動的なありかたに過ぎない。タフーリの歴史認識やロウの新たな切り口、あるいはデリタの思想など「理論」に真正面から対峙する能動的なありかたが持っていた力強さはそこには感じられない。