◆モホリ=ナギ 『材料から建築へ』


有名なバウハウスは短命に終わった

バウハウスは1919年にドイツに設立された教育機関だ。その歴史は知名度のわりに意外と短い。設立からわずか14年後の1933年に閉校されている。閉校は当時のナチス政府の決定によるものだった。

14年間という短い期間ではあったが建築史に残した足跡の大きさでいうならば他に類をみない教育機関であったといえる。バウハウスという名称には単なる学校名には収まらない大きさをもつ。なぜこれほどまでにバウハウスは強い印象を残すことができたのか。

バウハウス=近代建築の図式

バウハウスが単なる教育機関を超えた存在感を示す理由のひとつにはヴァルター・グロピウスの設計による校舎自体が近代建築を代表する作品であるということが言える。デッサウにあるこの校舎は近代建築を振り返るときにほぼ必ず参照される作品である。

装飾を排除した直線的なデザイン、ガラスとコンクリートという近代建築の代名詞ともいえる素材を使用した外観、さらにその作品の用途がまさに建築の学舎としてあるという象徴的な作品である。

そもそもバウハウスとはドイツ語で「建築の家」を意味している。さらには設計したグロピウス自身がバウハウスの初代校長でもあり、言及することに事欠かない

デッサウのバウハウス校舎
(http://en.wikipedia.orgより)

バウハウスは短命だったからこそ生き残った

もうひとつ、バウハウスが建築史に大きな名を残す要因になったことをあげるならば、まさにそれが14年間という短い期間であったから、ということが言える。
建築史においては時代とともに様式が変化していく。仮にバウハウスが何十年もの長い年月にわたって存続していたならば、恐らくその間に何らかの変化を伴うはずだ。バウハウスは14年間という短い期間で閉校したことによって、活動期間が「近代主義建築の中心」の時期と一致していた。このことでまさに「近代建築の結晶」として凝固し、これほどまでに強烈な印象を残すことに繋がった。

バウハウスの教育者 モホリ=ナギ

具体的にバウハウスではどのような教育が行われていたのか。本書を読むとその教育の一部を垣間見ることができる。著者であるモホリ=ナギは自身が写真やコラージュなどの作品を制作する美術家でもある。本書のなかにも彼の作品がいくつも載っている。

しかし一般的にはモホリ=ナギは美術家としてよりも、「バウハウスの教育者」または「バウハウス関連の書籍の著者」としての認知度のほうが高いだろう。モホリ=ナギはグロピウスからの招聘で1923年からバウハウスで教鞭をとる。ハンガリー生まれのユダヤ人であった彼はナチスの台頭とともにドイツを去り、アメリカに亡命する。

『材料から建築へ』というタイトルからもわかるように、本書は作品の素材となる「材料」について書かれている。
その素材が「感覚」へもたらす印象について書かれているのだが、バウハウスではこのような内容の講義を予備課程のなかでおこなっていた。予備課程とは建築という専門分野の前に用意されたカリキュラムであり、モホリはこの予備課程の担当であった。学生達はさまざまな材料を使用して、小さな模型作品を制作する。それは抽象的な彫刻作品ともいえるものだが、本書にはこれらの学生の作品がサンプルとして多数載っている。

本書では「材料」に関して、その質感とともに量感についても書かれている。
前者が作品の表面に関係するものであり、後者はその内部を含めた全体に関係するものである。この両者にはちょうど「絵画」と「彫塑」とを当てはめることが可能だ。さまざまな写真を用いながら、「絵画」と「彫塑」についての考察がなされる。これは建築以前に、美術全般にまつわる基礎的な教育だ。

Architecture Class in Dessau, May 1932 (http://bauhaus-online.de)

Architecture Class in Dessau, May 1932
(http://bauhaus-online.de)

すべての人間が才能をもつ

モホリ=ナギは「すべての人間が才能をもつ」と考えた。その才能を開花させられるか否かの違いはあるが、才能はすべての人にあると考えたのだ。そこにモホリ=ナギの「美術を教える」という姿勢の前向きさを見ることができる。

決して、生まれ持った才能だけで決まるものではない。だからこそモホリ=ナギは美術そのものを説明可能な状態になるまで丹念に分析し、学生たちに伝えようとした。
本書においても、とくに「彫塑」の分析は丁寧かつ論理的に整理されており、感性に頼りがちな分野だが明瞭に言語されている。この部分だけでも十分に読む価値がある。

「絵画」「彫塑」につづいて「空間」がとりあげられる。ここでは建築と彫刻の違いについて語られる。「彫刻はつねに閉ざされている」とモホリ=ナギは語る。それに対して「建築が開かれている」。この「開かれている」というとき、それは「内と外、上と下の同時的貫通における空間的な流入、流出関係や材料に潜在しているエネルギー関係というしばしば目には見えない作用に基づいている」という。

つまり「開かれている」というときに、それは計量できない、目にも見えない空間となるというのだ。そのような空間を人間が手に入れたということを宣言し、本書は締められる。

 

モホリ=ナギにとって建築は専門外

モホリが語っているのは建築は彫刻と異なり、中に入ることができるということだ。さらに内部で上下の階差を設けることで上下に移動ができる。そのように空間が広がっていくことで、そこから発生するさまざまな効果があらわれる。

たとえばどこに入り口をつくるか、入った先の空間をどのように区切るか、その際、壁や天井にどのような素材を使い、どのような質感に仕上げるか、などと考えていくと彫塑のときとは異なり、分析し整理することは困難になる。

つまり建築のように開かれたものは、あまりに選択肢が多すぎて計量することも定義することもできないものになってしまうというのだ。モホリが建築について語るとき、絵画や彫塑について語るときの鋭さはない。
モホリ=ナギは同じシリーズでバウハウス叢書から『絵画・写真・映画』という書籍も出している。ここでは建築についてはまったく書かれていない。

バウハウスにおけるモホリ=ナギの仕事は予備課程の講義だ。モホリ=ナギは自身の代表作となるような建築作品を残していない。というのもそもそも彼は建築家ではない。建築について「空間」という観点で語ろうとするときに限界があるのは無理もないことなのかもしれない。

それ以前の部分、つまり「絵画」「彫塑」については、バウハウスにおいて基礎的な教養として身につけておくべきことと考えられていたのが、どのようなものであったのかを知るのに絶好の資料である。本書のいちばんの魅力はそこにある。本書を読むことで近代建築を象徴するバウハウスの教育、その一部を垣間見ることができる。

【関連】
ヴァルター・グロピウス 『建築はどうあるべきか』